熊本城・宇戸櫓内部
西南戦争後にも焼け残った唯一の多層櫓の宇戸櫓内部は、古材、ちょうな跡なども見ることが出来ます。築城時の趣と構造を今に伝える貴重な遺構の一つです。
宇土櫓の内部
黒光りした床板、柱、歴史を感じます。内部の木材には、松、栂、楠などが使われています。
古材
宇土櫓の創建時の材料は、柱はほとんどが松で、栂や玉樟が数本ありました。その他、栗・樟等が使用されており、熊本周辺の他、菊池や阿蘇の自然林の中から伐り出されたと推定されます。また、木の表面仕上げは、丸刃(はまぐり刃)のちょうなで仕上げられています。
この他、懸魚、破風板等の古材が続櫓の床下や五階櫓の1階の天井裏から発見されましたし、2階の東側破風の部屋には創建時のものと思われる床板がありました。(現地案内板より)
ちょうな跡
内部の木材には、ちょうなと呼ばれる手斧で削った跡が残っています。
武者走り
戦闘時には、おし寄せる敵に対して素早く対応するために、原則として櫓の城外側には必ず廊下が設けられます。このような廊下のことを武者走りといいます。(現地案内板より)
宇土櫓の屋根や壁のミニュチュア
瓦や壁の構造を見ることができます。
屋根は垂木の上に野地坂を張り、その上に土井葺(椹の手割板を竹釘で止める)をします。3ヶ月以上ねせた土を置き平瓦と丸瓦で葺きあげます。最後に目地漆喰を施します。宇土櫓の瓦は4万6千余葺かれています。(現地案内板より)
屋根のミニチュア
実際の屋根
塗籠
外部に面している木部は防火のために漆喰を塗り籠めています。割竹に縄を巻いて釘で止め、下塗・中塗・上塗の順で仕上げます。(現地案内板より)
突上戸
突上戸(つきあげど)は、明かりを取り入れる窓で、晴天には日除け、雨天には雨除けとなります。棒を外せば、すぐに戸を閉められる便利さがあります。敵が攻めてきた場合は、この場所から矢を射ったりします。(現地案内板より)
銃眼(鉄砲狭間)
敵が攻めてきた場合、中から鉄砲を撃つための装備です。矢を射るための矢狭間は形が少し異なりますが、同じ目的です。熊本城では長方形を主としていたようですが、他の城郭では円形や三角形のものなどいろいろな形のものがあります。(現地案内板より)
鉄砲狭間
鉄砲狭間(てっぽうさま)は、外の敵に向かって攻めるための小窓です。広く狙いが付けやすいように外側が小さく、内側が大きくなっています。各階層に配置してあり、全部で42ヶ所あります。(現地案内板より)
狭間
鉄砲狭間の他に矢狭間もあります。狭間(さま)とは、敵が場内に侵入してきた際、自らの身を隠しながら矢を引いたり、鉄砲を撃ったり、あるいは槍を突いたりするために、城の塀や建造物に設けられた小さな窓のことです。
石落とし
この穴から、敵めがけて石などを落し、敵の侵入を防いでいました。なんだか原始的な方法にも思えますが、やはり石垣を登ってくる敵にしてみれば、かなりダメージが大きく、効果的だったのでしょう。
石落し
石落し(いしおとし)は、石垣をよじ登ってきた敵にこの石落しの穴から石を落し、侵入を防ぎました。
石落としから、熱湯や煮たぎった油を敵にかけることもあったそうです。
石落とし
宇土櫓から観た天守閣
宇戸櫓の窓からの眺め
宇土櫓からの眺め
宇戸櫓模型
歴史を感じる柱のキズです。
修復痕です。