熊本城・本丸御殿の梅之間・櫻之間・桐之間
大広間の畳敷で床の間を備えた梅之間、櫻之間、桐之間です。
式台之間を経て、大広間の玄関口であった鶴之間。そこから続く畳敷で床の間を備えた梅之間、桜之間、桐之間と続き、さらに若松の間、昭君之間へと続きます。鶴之間が60畳、梅之間が35畳、桜之間が28畳、桐之間が24畳、合計が147畳にもなります。吃驚する広さです。
梅之間
襖には梅の絵が描かれていました。対面所としても使われていました。[35畳](現地案内板より)
床の間の框(かまち)も黒漆塗りになっていて、ぴかぴかに光っています。
熊本城本丸御殿の復元に際して用意された畳は、全部で580枚。一般の部屋には「きよなみ」という品種の畳が使用されています。昭君之間と若松之間には、県内最高品種の「ひのみどり」で織り上げた、最高級畳表「ひのさらさ」が使用されています。
櫻之間
北側に三間の床の間が設けられ、床壁や襖には桜の絵が描かれていました。対面所としても使われていました。[28畳](現地案内板より)
桐之間
桐之間の奥が若松之間です。松の絵がみえていますのは、若松之間です。その手前の部屋が桐之間です部屋の中は入室禁止になっていましたので、廊下からとずっと手前の部屋からの撮影しかできず、ちょっとわかりづらいと思います。ごめんなさい。
桐之間
北側に三間の床の間が設けられ、床壁や襖には桐の絵が描かれていました。天井は格縁と呼ばれる部材を格子状に組んだ「格天井」(ごうてんじょう)です。対面所としても使われていました。[24畳](現地案内板より)
桐之間
旭日猛禽図
桐之間は24畳の部屋で、床の間に旭日猛禽図(あさひにもうきんず)の掛け軸の複製が2幅掛かっていました。
旭日猛禽図(複製)
復元根拠資料「御天守密書」の筆者である、肥後藩御用絵師「矢野雪叟」(やのせっそう)の力作の一つ。向かって左には波濤に洗われる岩の背後から旭日が昇りはじめ、右には風を待って今にも飛び立ちそうな鷲が描かれている。雪叟晩年の件であるが、年齢を感じさせない力強さがある。(現地案内板より)