岩戸の里公園
霊巌洞の上にある公園です。裏手には宮本武蔵が修行を積んだとされる場所があります。巨大な白い武蔵像があります。
所在地:熊本県熊本市松尾町平山589
岩戸の里公園
この公園には、雲巌寺、石仏の五百羅漢、十六羅漢や剣豪宮本武蔵が「兵法五輪之書」を書いた由緒のある岩戸観音、又平安期の歌人桧垣姫が詩を詠んだ詩詠場や鼓ケ滝、肥後耶馬溪といわれる所であり、年間多くの人が訪れます。(現地案内板より)
勝運を呼ぶ武蔵像
巨大な武蔵像に圧倒されました。
勝運を呼ぶ武蔵像
一、勝ち運祈願
一、合格祈願
一、ぼけ封じ祈願
平成15年のNHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の放映記念とテレビ放送開始50周年に感謝して地元熊本市ではこの地に「勝ち運を呼ぶ武蔵」として、座禅像を計画、武蔵の生誕地岡山県大原町と晩年を過ごした、熊本城に向けて建立されました。(現地碑文より)
インパクト大の顔です。
勝ち運を呼ぶ武蔵像
剣聖・宮本武蔵は天正12年(1584年)3月岡山県英田郡大原町宮本に於いて、父、新免無二斎、母お正の次男として生まれた。
武蔵は13歳の時播州平福で新刀流、有馬喜兵衛との戦いに打ち勝って以後諸国を巡って剣の道一筋に練磨しその間、京都一乗寺下り松での吉岡一門との戦いをはじめ29歳で九州船島(巌流島)に於いて佐々木小次郎と決闘し、六十余度の勝負に一度も負けることはなった。
それ以後は、天下を周遊し50歳にして兵法を究め57歳で肥後藩主、細川忠利公の知遇を得、客分として熊本に招かれた。
寛永20年(1643年)武蔵は生まれ故郷の岡山県宮本村(現在、大原町)に風景が良く似た金峰山麓、岩殿山霊巖洞に籠もり五輪書、兵道鏡、独行道を書き上げ又、書、絵、彫刻、当にも「二天」と称し優れた数多くの作品を遺して天保2年(1645年)5月19日、熊本の千葉城址で62歳の生涯を閉じた。
平成15年NHK大河ドラマ「武蔵MUSASHI」の放映記念とテレビ放送開始50周年に感謝して地元熊本市ではこの地に「勝ち運を呼ぶ武蔵」として、座禅像を計画、武蔵の生誕地岡山県大原町と晩年を過ごした、熊本城に向けて建立するものであります。
武蔵は六十余度の勝負に勝ち続けたのは勝ちたいと言う執念と綿密な計画、用意周到に実践した結果とされています。
戦後、我が国の復興に大きな影響をもたらしたのも矢張り日本国民に武士道の精神があったからと言われています。
現在の社会に失われつつある道徳心、自立心、強い精神力を武蔵に肖り、自己研磨し、霊巌洞に籠もり、したためた五輪書を紐解き、その極意を現代社会未来へと継承して行き、この武蔵像が人々に勝ち運を与えることを願ってここに武蔵の座禅像を建立するものであります。
平成十五年五月吉日 武蔵未来の会(現地碑文より)
宮本武蔵所修錬碑
剣聖として名高い宮本武蔵は、故郷の風景に似たこの地を愛し、寛永20年(1643年)以降、しばしばここを訪れ、観音の霊気に触れては己の人生の集大成である「五輪書」を書きついでいったといわれています。
この記念碑は、武蔵の没後三百年にあたる昭和19年に建立されたもので、正面の題字は細川護立氏の書、下段には「五輪書」の序の一節が刻まれています。(現地碑文より)
空之巻:地、水、火、風の四巻で二天一流の極意、兵法に対する考え方が表されていますが、この巻では武蔵が兵法を通し生涯をかけて辿り着いた「空」の境地が述べられています。一点の曇りもなく迷いのない心が真実の「空」であり兵法の真髄であることが説かれています。
風之巻:風の巻は他の流派と二天一流を九項目にわたって比較したうえで、他流派の欠点を指摘し二天一流の特徴を明確にすることで自己の流派の優秀性を説いています。勝つためには相手を知ることがいかに大事であるかという武蔵の考えが表れています。
火之巻:火の巻は実戦の場に臨んで敵に勝つための駆け引きについて書かれています。状況に応じて戦術を駆使すること、戦いにおける心理的攻撃の有効性も説かれています。吉岡一門や佐々木小次郎との決闘など数々の実戦経験に基づく武蔵の「勝負」への思いが込められています。
水之巻:水の巻は太刀筋と鍛錬の方法について三十六項目にわたり詳細に書かれています。勝負に際しての心の持ち方(常に平常心を保つこと)や身体の姿勢、構え方など武蔵が完成させた二天一流の極意が説かれています。
地之巻:地の巻は、二天一流の基本的な思想や兵法の大筋について書かれています。この中で武蔵は兵法を修めるうえでの文武両道の必要性と実戦において二刀を使用することの有効性、また状況に応じ臨機応変にすることの大切さを説いています。