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徳富記念園

明治時代の代表的なジャーナリストで、歴史家でもあった徳富蘇峰(とくとみそほう)とその弟で小説家の、徳富蘆花(とくとみろか)が少年時代を過ごした場所です。

徳富記念園1

所在地:熊本市中央区大江4-10-33
開館時間:9:30~16:30
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日が休み)・12/29~1/3
明治時代の代表的なジャーナリストで、歴史家でもあった徳富蘇峰(とくとみそほう)とその弟で小説家の、徳富蘆花(とくとみろか)が少年時代を過ごした場所です。
また、徳富蘇峰が起こした私塾「大江義塾」の跡地でもあります。旧居と記念館があり、約2000点もの資料や遺品が展示されています。園内には、カタルパの木があります。カタルパの木は5月中旬頃に白い花を咲かせます。

徳富記念園2

大江義塾 草創期の教室

この棟は明治3年に徳富家が水俣から移ってきた以前からあった建物です。旧藩士の家であったというですが、元田永孚(のち、明治天皇の侍講となる)の世話で手に入れたものです。明治15年、蘇峰はここに大江義塾を開設しました。開校当時はこの部屋が教室となりました。(現地案内板より)

徳富記念園3

熊本県指定史跡 徳富旧邸(大江義塾跡) 徳富記念園 熊本市文化財指定(現地案内板より) ここは、明治3年から徳富蘇峰、蘆花兄弟が幼少時代を過ごした徳富旧邸であり、また蘇峰の設立した学校「大兄義塾」(明治15年~明治19年)の旧跡です。 徳富家は明治19年に一家をあげて上京しましたが、旧邸はその後も河田家によって保存され昭和37年熊本市に寄贈されました。 熊本市では明治100年記念事業の一つとして旧邸の整備と記念館の建設を行い、併せて徳富兄弟ゆかりの遺品類を展示しています。

徳富記念園4

徳富家使用の火鉢

徳富記念園5

徳富家使用の手火鉢

徳富記念園7

明治天皇行在所の一部

この部屋は明治5年に移築されたものです。この年の六月、明治天皇が熊本に行幸になりました。その時、新町の会輔堂(今の一新幼稚園)が行在所になり、そこに厠(お手洗い)が新築されました。
その厠は御使用になりませんでしたので、御還幸の後、当時県の七等出仕(上級役人)であった徳富敬一が払い下げを受けてわが家に継ぎ足したものです。(現地案内板より)

徳富記念園8

恐ろしき一夜より

川向ふの方にあたりて怪しき物音、姉君の呻吟(うめき)の聲にまじりて聞えぬ。姉君は唇を噛んで黙したまひぬ。
吾は一身耳になりて傾聴す。忽ちばたばた足音聞ゆ。頓て喉突かるゝ鶏の苦しむ様なる一聲、絲の如く長く曳いて静かなる夜に響きぬ。
一瞬の後、忽ちあっと一聲女の聲して、其聲のぱったり止むと思へば、更にひいと一聲悲鳴の聲凄く耳を貫き、ばたばた足音響き、戸障子の倒るゝ音して、其後は裁つたる様に静になりぬ。
母上は眞蒼になれる年若き醫師を叱り励まし、帯引しめて、「御身も男ではないか、来て御覧」と言ひつゝ、余が右の手を執つて引立て、二階に上がりて、北の雨戸を一枚がらりと引開けたまへば、此はいかに、眞黒き背戸の竹藪越しに空は一面朱の如く焦がれたり。
城の方を見れば彼處に火あり、此方にも火あり、火は一時に五カ所に燃え、焔は五カ所より分かれ上がりて紅く空を炙り、風なきにざわつく笹の葉の數も鮮かに數へよまるゝばかり。
耳を澄ませば、何とも知れぬ物音騒がしう火焔の間に聞ゆ。
「青山白雲」の「恐ろしき一夜」より(「蘆花全集」第三巻二二九頁)

徳富記念園6

木下順二作「風浪」と大江義塾

この旧居は木下順二作「風浪」の舞台にもなりました。「風浪」は、熊本を舞台にした木下順二の処女作です。明治維新の激動期に、若者達の生きる道を模索する姿を描いた青春群像劇です。
木下順二は、熊本出身の日本を代表する劇作家です。よく知られている作品に民話劇「夕鶴」があります。昨年(2006年)に亡くなられました。竹崎茶堂の兄の曾孫にあたられます。(現地案内板より)

徳富記念園9

山王草堂の蘇峰先生 岡本正徳(秘書)

午前中に庭内を散歩されることもある。先生には文字通り一木一草が知己である。いちょう、けやき、楠、泰山木などの喬木から、つつじ、しゃくやくの灌木、はては野草の類までを見上げ見下ろし、その成長を喜び、茂るのを楽しんで逍遥される。
自然のままを愛される先生を庭番もよく知っているから、枝や花や葉は落ちるにまかせ、枯れるにまかせてある。自然物はどんなに乱れようと先生には少しも苦にならなかった。
だが、その中にある人工物は先生には堪えられならしい。小さな紙片でもビンのふたでも目ざとく見つけて片付けさせる。時には自ら拾われることもある。タバコの吸殻はもっとも嫌われた。「追想の徳富蘇峰」より(現地案内板より)

徳富記念園10

カタルパの木

カタルパの木は西洋梓(せいようあずさ)とも呼ばれています。このカタルパは、新島襄(同志社大学の創立者)が、アメリカから持ち帰った種子を淇水(蘆花、蘇峰の父)に贈ったものです。
一世は昭和33年の台風で倒れ、この木は二世です。例年、5月の中旬頃、香りのよいカトレアのような清楚な花を咲かせます。

徳富記念園11

徳富記念園13

徳富記念館

徳富記念園12


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