神風連資料館
明治の初年、熊本には敬神尊攘を信条とする神風連という一団がありました。その神風連の烈士や肥後勤王党関係の武具・絵画・遺墨・遺品等約500点を展示しています。
所在地:熊本県熊本市中央区黒髪5-7-6 桜山神社境内
開館時間:10:00~16:30
休館日:毎週火曜日・年末年始
明治9年10月24日深更、熊本藩士族で作る神風連(敬神党)の志士170人余は熊本鎮台などを襲撃。司令長官種田政明、県令安岡良亮らを殺害、砲兵営の兵舎は全焼した。この挙兵で一統の首領太田黒伴雄ら124士も、また戦死もしくは自刃して果てた。新政府の急進的な欧風改革を黙認できず、必敗を知りつつも、あえて決起にふみきったのであった。いわゆる神風連の変である。
この事変に関する世評一般は、必ずしもかんばしいものではない。復古主義的不平士族の反乱とか、頑迷固陋な攘夷狂の暴挙とかいわれて片づけられてきたきらいがある。
これに対し、「何たる暴言か」と唇をかんで立ち上がったのが、今は亡き荒木精之助氏であった。昭和16年のことである。氏は志士たちの「慨世憂国の深さ」に打たれ、決起の「至誠、あわれさ」に感応し、以来、一貫して神風連の何たるかを探り究め、その心を訴え続けてきた。氏はとりわけこの事変を、わが国古来の敬神の精神にもとづく信仰的挙兵であった、と力説する。それは志士たちの師、林桜園の教義を受け継ぐものであり、だから志士たちは、決起にのぞみ宇気比(うけひ)と呼ばれる神慮を乞うているのである。
資料館は、その神風連の精神を後世長く伝えたいという荒木氏の熱い呼びかけと奔走によって誕生した。氏を代表とする建設期成が設けられるや、趣旨に賛同し浄財を寄せる人は全国から千五百人、寄金はわずか4ヵ月で二千四百円に達したという。これらの芳志を結集して資料館はできあがった。昭和53年11月5日開館。貴重かつなまなましい遺品遺墨五百余点を中心に年表、図表、劇画なども添えられて、理解の便がはかられている。しずかに神風連の心を考えるところとして、神風連の精神は、ここにおいて蘇ることができたのである。(現地案内板より)
桜山神社
熊本県熊本市中央区黒髪5-7-57
御祭神:天照大御神・豊受大神
林桜園、明治維新で活躍した肥後勤王党の志士、神風連の烈士らを合わせ祀っています。