九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

八景水谷公園の加藤清正公立像

八景水谷公園(はけのみやこうえん)は、第5代肥後藩主細川綱利公によって開かれた公園です。

加藤清正公立像1

所在地:熊本県熊本市北区八景水谷1丁目11-1
駐車場:無料・約30台・9:00~17:00
八景水谷水源は、豊富な湧水量を誇っています。公園内にはソメイヨシノが200本植えられていて、春の桜の季節はにぎわいます。

加藤清正公立像6

八景水谷の由来

八景水谷の歴史は古く、細川第五代藩主綱利公がこの地に茶室を造り、ここから眺めた八つの景色(三嶽青嵐(さんがくせいらん)、金峯白雪(きんぽうはくせつ)、熊城暮靄(ゆうじょうぼあい)、壺田落雁(こでんらくがん)、浮島夜雨(うきしまよあめ)、龍山秋月(りゅうざんしゅうげつ)、亀井晩鐘(かめいばんしょう)、深林紅葉(しんりんこうよう)を琵琶湖畔の近江八景に因んで詠んだことが地名の由来となっています。(現地案内板より)

加藤清正公立像3

熊本市水道発祥の地 八景水谷

熊本市の上水道整備の歴史は、明治42年(1909年)の上水道建設計画に始まります。
その後、多くの関係者の御努力により大正13年(1924年)11月27日、八景水谷を水源地、立田山を配水池として4,617戸へ一日平均3,141立方メートルの配水を開始しました。
この場所には創設の時、レンガ造りのポンプ室などが建てられていました。現在も当時の浅井戸は残されており、80年経った今、なお良質な地下水を供給し続けています。(現地案内板より)

加藤清正公立像2

加藤清正公立像

清正公が熊本の地で治水土木を指揮した雄姿を模したものと伝えられています。

加藤清正公立像4

加藤清正公の塑像

大正14年(1925年)3月に「上水道通水」「市電開通」「第23連隊移転」の熊本市三大事業の完成記念して開催された博覧会「国産共進会」の会場中央に設けられた大噴水塔の上に設置してあった清正公の塑像です。
終了後ここに移設したもので、その後昭和59年(1984年)に樹脂による修復が行われました。
この塑像は、当時熊本中学(現熊本高校)の教諭であった甲斐青萍(せいひょう)氏の手による原図に基づき、熊本県ゆかりの著名な彫刻家であった松原象雲氏が丹誠を込め四ヶ月を費やし塑彫した傑作で、清正公が熊本の地で治水土木を指揮した雄姿を模したものと伝えられています。(現地案内板より)

加藤清正公立像5

治水工事を指示する清正公の姿が目に浮かぶようです。

加藤清正公立像7

熊本市上水道発祥の地の石碑

大正13年、この地に置かれた八景水谷水源地第一送水場から熊本市の上水道は通水を開始しました
先人の御苦労へ敬意を表し、創設時から今日まで配水を続ける立田山配水池から出土した自然石に碑文を刻み、80周年を記念してこれを設置します。
平成16年11月 熊本市水道局(現地石碑碑文より)

水五訓

一、l自ら活動し、動かすは水なり
一、障害に逢って激しく、その勢力を倍化するは水なり
一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり
一、自ら潔くして他の汚濁を洗ひ而うして清濁併せ容る水なり
一、洋々として大海を充たし、発して雲となり、雨と変じて凍っては玲瓏たる氷雪と化してその性を失はざるは水なり
立田山配水池
大正12年頃、建設途中の配水池。八景水谷水源地から送水された水道水を標高73mの高さから市内中心部へ供給しました。(現地掲示物より)


熊本一覧

  熊本  熊本城  黒川  阿蘇・小国
  天草・三角   人吉・玉名  山鹿・菊池