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立田自然公園

細川家の菩提寺として建立された泰勝寺跡につくられた公園です。

立田自然公園2

所在地:熊本市中央区黒髪4-610
開園時間:8:30~17:00(入園は16:30まで)
休園日:12/29~12/31
入園時間:8:30~17:00(但し入園は16:00まで)
駐車場:無料・約30台

立田自然公園1

この公園は、細川家の菩提寺として建立された泰勝寺跡です。寛永14年(1637年)細川三代藩主忠利が泰勝院(泰勝院とは初代藩主藤孝の法名)として建立。
四代藩主光尚の時、京都より大淵和尚を住職として招き泰勝寺と改めました。
ここには、細川初代藩主藤隆夫妻と二代忠興、その妻ガラシャの墓である「四つ御廟」をはじめ、藩主や住職の墓、細川家にゆかりのある宮本武蔵の供養塔などがあります。
その他、苔園、国指定天然記念物の立田八重クチナシ、茶室「仰松軒(こうしょうけん)」などがあり、昭和38年(1963年)には県の名勝及び史跡に指定されています。(現地案内板より)

立田自然公園3

立田自然公園5

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茶室仰松軒

茶室仰松軒は、細川忠興の原図に基づいて復元されました。茶室「仰松軒」にある手水鉢は、京都で細川忠興が愛用したもので、豊臣秀吉や茶の師・千利休も使用したと伝えられています。

立田自然公園14

立田自然公園4

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立田自然公園 細川家墓地

現在自然公園となっているこの地は、細川家の菩提寺泰勝寺のあとである。
寛永9年(1632年)細川第三代忠利(肥後藩初代)は加藤氏のあとを受けて肥後藩主となった。十四年にはこの地に泰勝院を建立し、同19年には大淵和尚を招いて住職とした。
正保3年(1646年)八代に隠居していた二代目忠興の死後、小倉から八代に移していた同名の泰勝院を廃し、一寺にまとめ、瑞雲山泰勝寺とした。
ここには初代藤孝(幽斉)、二代忠興(三斉)夫婦とし第十代斉護は北岡自然公園にある)の墓がある。明治元年神仏分離令により廃寺となった。
公園内には苔園、泉水及び細川三斉の図面により大正時代復元された茶室仰松軒などがある。
熊本県指定史跡 昭和52年3月 熊本市(現地案内板より)

立田自然公園11

四つの廟

寛永9年(1632年)肥後54万石の領主となって入国した細川忠利は、同14年に現在地に泰勝院を建立し、祖父細川藤孝(幽斉)と祖母光寿院および母秀林院(ガラシャ夫人)の廟を建立した。泰勝院は藤孝の法名である。
忠利は寛永18年に亡くなって北岡の妙解寺に葬られたが、正保2年(1645年)に、その父忠興(三斉)が亡くなると、当主の光尚は忠興をその夫人秀林院の廟の隣に葬り、ここに四つの廟が出来上がった。
正保3年に光尚は泰勝院を瑞雲山泰勝寺と改称して独立の菩提寺としたが、綱利の頃山号を龍田山と改められた。
寺は明治2年の神仏分離によって廃寺となったが、細川家中興の祖である藤孝忠興両夫妻を祀る四つの廟は大切に維持されてきた。
しかし第二次大戦後の世情によって手入れが行き届かず大破に及んだ。昭和48年度大修理を実施して旧に復した。
廟はいずれも二間四方の方形造で四隅の鬼瓦はなお古式を伝えており、前面には大正時代に設けられた向拜がついている。
中の墓石はいずれも五輪塔形式で、水輪(二段目の球の部分)に比して火輪(笠の部分)が小さく江戸初期の特徴を示している。(現地案内板より)

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手水鉢

立田自然公園の廟内に手水鉢がありました。

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立田自然公園 泰勝寺跡

泰勝寺は寛永14年(1636年)に細川忠利によって建立され、細川氏の菩提寺として栄えた寺院です。
泰勝寺の由来は、慶長16年(1611年)3月に細川忠興が父・幽斎の追善のために、小倉に泰勝寺を建立したことに始まります。寛永10年(1633年)、忠興が八代に移し、寛永14年に現在の下立田に泰勝院を建立しました。

立田自然公園16


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