旧細川刑部邸
細川刑部家は、細川家三代忠利公の弟、細川刑部少輔興孝が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。この建物は、その後、子飼(現在の熊本市東子飼町)で下屋敷として使用していたものを平成2年から4ヶ年かけて移築したものです。
所在地:熊本県熊本市中央区古京町3-1
平成28年4月に発生した熊本地震により、細川刑部邸も大きな被害を受けました。
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細川(長岡)刑部(刑部少輔家)は細川家三代(肥後藩初代)・忠利の弟、刑部少輔興孝が正保3年(1646年)に2万5千石を与えられて興したものです。興孝公は、延宝6年(1678年)に子飼(現在の熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、後に下屋敷としました。刑部家は代々「刑部」(ぎょうぶ)か「図所」(ずしょ)を名乗り、家禄1万石で活躍しました。
明治4年(1871年)熊本城に鎮西鎮台が置かれ、明治6年(1873年)、時の刑部家の当主興増公は子飼に移り、下屋敷を本邸としました。昭和60年、熊本県重要文化財に指定され、平成2年から4年の歳月をかけて三の丸に移築復原しました。
玄関
唐破風の大きな玄関は、重臣などの訪問や当主だけが使っていたといわれています。