発星山 本妙寺 本院
本妙寺は加藤清正公が父清忠公の霊を慰めるため、天正13年(1585年)大阪の難波に数え年24歳の時に建立しました。その後、清正公の肥後入国後には城内の法華坂に、清正公の逝去後には、嗣子忠広公によって、現在の地に建立移転されました。
所在地:熊本県熊本市花園4-13-1
毎年7月23日には、頓写会(とんしゃえ)大法要が行われます。
頓写会は、清正公の一周忌に菩提を弔う為に、本妙寺第三代高麗日遥上人が法華経を書写したのが始まりだそうです。
三回忌には山内の僧侶が加わり、写経を行ったところ、7/23の一夜にして法華経(69,384文字)の写経が出来たことから、頓(すみやかに)写経した法会ということに由来しているそうです。
清正公は、いくつもの寺を建立していますが、その中でも本妙寺(熊本)、法心寺(大分)、本蓮寺(長崎)、法華寺(熊本・現在廃寺)、本経寺(長崎)の五つの寺の名前を並べてみると、「妙法蓮華経」と日蓮宗の称号になります。
本妙寺本院
天正13年に加藤清正公が、父君 清忠公の追善の為、日真上人を招き摂津に一宇を建立し、本妙寺と号しました。その後、天正16年に清正公が肥後の大名になられ、天正19年に本妙寺を熊本城内に移しました。
慶長16年に清正公が熊本城内で亡くなられ、遺言状により、城西中尾山の中腹の現在地に御廟所を造営しました。慶長19年、城内の本妙寺が焼失したため、清正公廟所の現在地に本妙寺を移転しました。
加藤家菩提寺「本妙寺」清正公廟所「浄池廟」にぜひお参りを。
加藤清正公が、父清忠公の霊を慰めるため、天正13年(1585年)大阪の難波に、数え年24歳の時に建立されたのが「本妙寺」であります。
その後、清正公の肥後入国後には城内の法華坂に、清正公の逝去後には、嗣子忠広公によって、現在の地に建立移転されたのであります。
また、「浄池廟」は、清正公の逝去後、生涯の両腕であった飯田覚兵衛と森本儀太夫の二人が普請奉行となって、清正公の廟所(みたまや)として建立したものであります。
どうか参拝者の皆様方にも、できれば一年に一度は、加藤家の菩提寺である「本妙寺」と、清正公の廟所である「浄池廟」にも、ぜひお参り下さい。
加藤神社宮司 湯田栄弘(現地案内板より)
勅願道場
本妙寺大本堂の山門です。扁額に書かれた「勅願道場」の文字は東郷元帥の字と言われています。
大本堂
大宝塔
平和塔
本妙寺仁王像阿形
両側に仁王像が立つ石段を上ると、石畳の参道が本妙寺へと真っ直ぐに続いています。
本妙寺仁王像吽形
星壽林
本妙寺の塔頭(たっちゅう)
所在地:熊本県熊本市西区花園4-13-1
仁王門をくぐり、仁王像が両側にいる石段を上ると、本妙寺に向かって真っすぐ石畳が続いています。その石畳の両側には、12の塔頭と大本堂が並んでいます。
仁王像から本妙寺に向かって、手前から順番に
常住院(じょうじゅういん)元和二年開創 開山発星院日真
大津山智運院(ちうんいん)延宝年間開創 開山慧雲院日意
本是山静明院(じょうみょういん)天正年間開創 開山妙音院日領
龍渕院(りゅうげんいん)元和元年開創 開山龍淵院日通
妙心院(みょうしんいん)元和二年開創 開山日陽
吉祥山東光院(とうこういん)玉名郡南関町に開創され元和二年本妙寺山内に移転 開山東光院日延
延寿院(えんじゅいん)元和年間開創 開山日純
本地院(ほんちいん)万治元年開創 開山日慶
宗務所(しゅうむしょ)
本院(ほんいん)
雲晴院(うんしょういん)寛文三年開創 開山雲晴院日逍
大本堂(だいほんどう)
法皇閣(ほうおうかく)と並んでいます。