禅宗 安国寺
曹洞宗 大平山 安國寺
所在地:福岡県北九州市小倉北区竪町1丁目2-13
豊前安国寺と呼ばれ、足利尊氏・足利直義兄弟の発願で全国に建てられた寺の一つです。
曹洞宗安国寺は、足利尊氏・直義兄弟の発願で全国に建てられた寺の一つで、豊前安国寺と伝えられています。当初、三本松(小倉北区古船場付近)にありましたが、慶長5年(1600年)細川忠興の小倉城築造の折、現在地に移りました。
当寺の第27代住職・玉水俊こ(交虎)は、旧陸軍第十二師団軍医部長として明治32年6月から約3年間、小倉に在住した森鴎外と親交を結び、彼の作品「二人の友」や「独身」にも『安国寺さん』の名で登場しています。
庫裏の前には、元和8年(1622年)最上藩の内紛で細川家預かりとなった最上直光(墓碑には「捐舘 清雲院殿前公衆太守聖山壽賢大居士」と刻まれています。)や寛文11年(1671年)伊達騒動に連座して小倉に配流中没した伊達宗興(事件の中心人物であった伊達宗勝の子。宗勝は伊達政宗の十男)、小倉藩の儒者篠原級長(号は笠山)の墓があります。
また、寺には木造松尾芭蕉翁像、柳墳、三世幾暁庵春波や四世文藻舎春渚の墓などがあります。これらは、いずれも小倉北区古船場にあった芭蕉門下ゆかりの寺、知鏡庵(昭和12年に知鏡寺と改称)から昭和36年に移設されたものです。
芭蕉翁像は高さ25センチ程の坐像で、芭門十哲の一人であった森川許六が芭蕉遺愛の桜を切って造ったものといわれ、宝暦年間(1751年~1764年)の初めごろ、春波が九州行脚の折、笈(背に負う箱)におさめて持って来たものです。
柳墳は、文政のころ(1818年~1830年)芭蕉の肉筆の短冊「八九間 空で雨降る 柳かな」や遺品などを埋めて建てた塚です。
北九州市教育委員会 (現地案内板より)
一年余立って、私が東京へ帰ってからの二度目の夏になった。或る日安国寺さんが来て、暑中に帰省して来ると云った。安国寺さんは小倉の寺を人に譲ったが、九州鉄道の豊州線の或る小さい駅に俗縁の家がある。それを見舞いに往くということであった。(森鴎外「二人の友」より)
境内にはおひさま幼稚園が併設されています。
鬼瓦
屋根の上の猫
本堂の屋根の上を猫さんが散歩していました。
太平山
「大平山」と書かれた、山号額が掲げられていました。
喚鐘
本堂の右手前に泰山木が植えられていました。訪れたのは5/20で、丁度泰山木の大きくて真っ白な花が咲いていました。
泰山木
おひさま幼稚園創立六十周年記念樹 平成二十二年十一月吉日
泰山木の花
大きくて白いお椀の様な形の花です。甘く優しい香りが漂っていました。
白町の額
陶器の狛犬阿形
陶器の狛犬吽形
日限地蔵堂
本尊の日限地蔵菩薩が祀られています。
芭蕉翁柳墳
柳墳は、文政のころ(1818年~1830年)芭蕉の肉筆の短冊「八九間 空で雨降る 柳かな」や遺品などを埋めて建てた塚です。
柳塚
八九間 空で雨降る 柳かな