芦屋歴史の里・鬼瓦
芦屋町歴史民俗資料
所在地:福岡県遠賀郡芦屋町山鹿1558-3
芦屋では奈良時代から瓦が焼かれ、明治時代には17ヶ所の瓦がありました。
芦屋の瓦
瓦は奈良時代、仏教の伝来とともに朝鮮半島より渡ってきました。芦屋の月軒(浜口)廃寺遺跡からは奈良時代の太宰府系の瓦が出土しています。このコーナーの瓦は江戸時代の瓦で、芦屋で焼かれ、商家や寺の屋根を飾っていたものです。芦屋の最も古い瓦屋は山鹿の藤崎瓦で18世紀の創業といわれています。明治に入ると雲州瓦(島根県)の職人が集団で移住してきました。明治30年頃には遠賀川流域に次々と工場が建ち、最盛期には17ヶ所を数えるほとどなりました。しかし、昭和に入ると産業構造の変化から廃業が続き、昭和28年の大水害から芦屋で瓦が焼かれることはなくなりました。(現地案内板より)
鬼瓦
雲形鬼面付。「直方善蔵」の陰刻有り。
若葉形鬼面付き。金屋の商家銭幸のもの。
違い鷹の羽紋が刻印されています。
雲形鬼面付。
安楽寺の鬼瓦。安政5年(1858年)製作。
安楽寺のシャチホコ
シャチホコ
えびす像
えびす様は一般的には釣竿を持ち、鯛を抱えた福々しい姿で知られていますが、実は色々な姿を持っています。というより、豊漁を呼ぶ力を持つものが「エビス」と呼ばれている事が民俗学から報告されています。つまり元は海の幸をもたらす「異郷から来た神(漂着神)」がエビスであったわけです。
恵比須(福神信仰)が盛んになったのは中世でした。堺・神戸・博多などの港がその信仰の中心でした。芦屋も日本書紀の時代からの港・津でしたから、恵比須信仰も古くからありました。町内に六社も恵比須宮が残り、今も地元の人達から大切にされています。(現地案内板より)
芦屋町の恵比須宮
蛭子宮:堂山・蛭子神社:築山天満宮裏・恵比須神社:光明寺裏・戎神社:光明寺前・恵比須神社:岡湊神社境内・恵比須神社:浜口