釣鐘
芦屋窯の里
所在地:福岡県遠賀郡芦屋町山鹿1558-3
芦屋釜の里では、現代に残る芦屋鋳物師作の釣鐘を調査し、その技術を探っています。平成18年3月には、芦屋では400年ぶりに釣鐘の鋳込みを行ないました。
芦屋鋳物師は、茶の湯釜だけでなく釣鐘も造っていました。芦屋で最後に造られた釣鐘は、記録に残るもので、慶長5年(1600年)に岡垣町の高倉神社に奉納された釣鐘です(亡失)。平成18年3月、芦屋ではおよそ400年ぶりに釣鐘の鋳込みを行ない、口径一尺二寸(約36cm)の小型の釣鐘を造りました。今回は、それよりも一回り大きい口径一尺五寸(約45cm)のサイズです。本展では、製作された釣鐘、その製作工程や道具などの展示を行っています。数百年の時を経て再び蘇った釣鐘の響きを是非お聞きください。(現地案内板より)
大寧寺鐘の調査と「継ぎ中子法」
芦屋釜の里では、現代に残る芦屋鋳物師作の釣鐘を調査し、その技術を探っています。今回製作した釣鐘は、大寧寺鐘を手本としました。大寧寺鐘の龍頭は造りも精緻で迫力があり、胴部は緩やかに膨らんだ非常に美しい形状をしています。和鐘の典型的な優品といえるでしょう。
数度にわたる調査で、芦屋鋳物師の中子(中型)の造り方に特徴的な点があることがわかってきました。鐘内部をよくみると、1周したベルト状の痕跡が2ヶ所みられるのです。これは鋳型を継いだ痕跡だと思われ、中子を積み重ねてつくったと考えられます。ここでは、それを「継ぎ中子法」と呼ぶことにします。
なぜこのような面倒な方法を用いたのか明確にはわかりませんが、芦屋鋳物師作の他の釣鐘にも同様の痕跡がみられるものがあります。今回の釣鐘製作では、この「継ぎ中子法」で中子を製作しています。(現地案内板より)
芦屋鋳物師作の釣鐘は、記録からわかるものは20口、その内現存しているものは10口に過ぎません。多くの釣鐘が、合戦の際の戦利品として持ち去られたり、新たな釣鐘を造るために鋳潰されたりしたと考えられます。
第二次世界大戦中には、全国の多くの釣鐘が供出され、鋳潰されました。幸いなことに慶長(1596年~1615年)以前に造られた釣鐘は供出の対象から外され、芦屋鋳物師の釣鐘も現在に伝えられています。ともあれ平和を祈るべき釣鐘が、戦争の兵器となってしまったのは皮肉なことです。
現在では、残っている釣鐘のほとんどが国県市町村の指定文化財となっており、寺社や博物館に大切に保管されています。(現地案内板より)
撞座
芦屋町で製作された鋳物製品を芦屋鋳物とよびます。芦屋鋳物では、芦屋釜を中心に、蓋置、香炉、建水等の茶道具を主に製作しています。また、梵鐘、鰐口等の仏具製作や、銅鏡等の文化財復元・修復も行っています。芦屋町では、今後も芦屋鋳物の周知、ブランド力向上を支援するとともに、一般に求めやすい商品の開発など、地域の新たな産業として定着するよう振興を図ります。
胴
天女が絵が描かれています。