梅安天満宮
梅安天満宮
所在地:福岡県中間市中央1丁目42
梅安天満宮は、文永年間(1264年~1274年)に太宰府の菅原道真公を勧請したもので、延享年間(1744年~1747年)に惣社山より現在地より移されたと伝えられています。
毎年2月中旬頃に、境内の紅白の梅160本が咲き、赤・ピンク・白と色とりどりの梅の花を楽しむことができます。
名蹟 梅安天満宮の由来
ここ徳若の天満宮は、文永年間(450年前)大宰府の菅公(菅原道真公)を勧請して祀られたもので、延亨年間(230年前)惣社山よりここに移されています。この地はもと梅安といわれたことから、梅安天満宮と称され、祭礼日の御神幸は遠賀川の波場までおくだりになり、御神輿の前後には神官が騎馬で伺候し、令人が音楽を奏して奉従し、近隣の村からの参詣者も多く盛大であったといわれています。また、一説には安産の神として崇敬され、産安天満宮とも呼ばれていました。
この神社は公民館の集会に利用されていましたが、昭和58年3月氏子の総意に基づき、浄財を集めて拝殿が新築し、見事に完成し、公民館は移転し、伝統のうそ替神事が継承されています。
中間ライオンズクラブ・中間郷土史会(現地案内板より)
鳥居
菅公と鷽の由来
その昔菅公(菅原道真公)が太宰府に下向の折、蜂の大群が現われ一歩も進めなかったとき、いづこからともなく鷽の大群が飛来してきて、瞬く間に蜂を全滅させ、菅公の一行は、無事通行できたという由緒があります。鷽の鳥は鳩よりやや小さく、頭と尾は黒く、腰のあたりは白く、腹部と背は灰色で雄の胸は美しいバラ色をし、綺麗な声で鳴くのが有名です。
拝殿の前にある鷽の像の頭をさすると、頭が良くなることから、天満宮さまの守り鳥として知られ、幸運の神として信仰があり、広く親しまれています。
鷽替え神事は、一年中の嘘と誠を神前にて取替え、罪滅のためといわれ、開運の出世を授かると信じられ、求めて帰った鷽を神棚にお祀りすると、除災招福と家運隆盛を祈願するのもこの故であります。
梅安天満宮氏子総代(現地案内板より)
拝殿
狛犬阿形
狛犬吽形
手水場
道路沿いの斜面に、梅の木が沢山植えられています。梅の木の根元には、水仙が咲き、彩を添えています。