旧松本邸洋館
西日本工業倶楽部
所在地:福岡県北九州市戸畑区一枝1-4-33
旧松本邸は、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパーで流行したアール・ヌーヴォーを建物はもとより、家具まで一貫して統一しています。瀟洒な雰囲気の素敵な建物です。洋館の2階には昭和天皇もお泊りになられたことがあるそうです。洋館1階には大広間、客室、食堂、書斎など大小7室が配置され、大広間から階段室を経て、二階へと上ります。二階は階上広間を囲むように大小7室の寝室と和風座敷3室が配置されていて、附庇及び突出部には内玄関、厨房などがあります。
建第1864号 需要文化財指定書
旧松本家住宅(福岡県北九州市戸畑区一枝)四棟
洋館 木造、建築面積624.9平方メートル、二階建、スレート葺、庇銅板葺、厨房、内玄関桟瓦葺
附 棟札1枚 上棟 明治43年8月13日の記がある
日本館 居室部 1階 8畳4室(1室に床、棚、一室に床、押入、二室に押入付)、茶室(戸棚付)、6畳2室(以下附 書)右を重要文化財に指定する。
昭和47年5月15日 文部大臣 高見三郎 (現地重要文化財指定書より)
建第1864号 重要文化財指定書附書その一
(押入付)、四畳半(床・押入付)、板間二室(各押入付)、階段室、玄関の間、玄関、浴室か箇所、便所、廊下、縁よりなる。
二階 八畳三室(一室に床・棚、一室に床・押入、一室に押入付)、六畳二室(一室に床・押入、一室に押入付)、板間二室(一室に押入付)、便所二か所、廊下及び階段室よりなる。
座敷部 十三畳(床・棚付)、十畳、入側、四畳半(押入付)、便所、廊下、縁よりなる、南端居室部に接続
入母屋造、桟瓦葺、庇銅板葺 附 東渡廊下 一棟
桁行10.6メートル、梁間1.8メートル、両下造、桟瓦葺、執事室付属 棟札 二枚
上棟明治42年10月11日の記があるもの二
一号蔵 煉瓦造、建築面積38.4平方メートル、二階建、切妻造、本瓦葺、渡廊下附属(現地案内板より)
建第1864号 重要文化財指定書附書その二
附 棟札 1枚 上棟明治43年8月13日の記がある
二号蔵 煉瓦造、建築面積33.5平方メートル、二階建、切妻造、本瓦葺、渡廊下附属
附 棟札 1枚 上棟 明治43年8月13日の記がある。(現地案内板より)
棟札には、當主 松本健次郎 設計者 工学博士 辰野金吾・小学士 片岡安 監督 技師 久保田小三郎 工事係 檜和田金八・佐藤節雄・岡田鉄二郎・古川豊と書かれていました。
ステンドグラス
洋館の1階広間から広く大きな階段を上ると、踊り場の壁に美しいステンドグラスがあります。光が差し込むと幻想的です。外からみたステンドグラスと家の中でみるステンドグラスは雰囲気が変わります。美しいグラデーションの青空と雲、躍動感溢れる可愛いツバメ、たわわに実ったカラフルな葡萄、爽やかなグリーンの葡萄の葉、爽やかであり、楽しくもあるステンドグラスです。
ステンドグラス 和田三造作
和田画伯のデザインになるたわわなぶどうの房と白雲をモチーフとした七色のガラスは大壁掛とともに室空間にゆたかな色合いを添えています。製作は大正中期と思われますが、ステンドグラスとしての本格的な手法が用いられ、日本人の手によるものとしては初期のものといわれています。(現地案内板より)
色がとっても綺麗なステンドグラスです。
南蛮絵更紗「海の幸」和田三造作
また、階段の踊り場には、南蛮絵更紗が飾られています。
染色 木綿 大正7年(1918年) 622cm×381cm
階段踊り場の壁面を飾るため、松本氏が特に和田画伯に委嘱して制作されたものです。木綿地に染料で手描きして染めあげたもので「山の幸」と対をなしています。
「海の幸」は南蛮貿易で賑わう平戸港の風景を舞台に、造船・捕鯨・園芸などの情景や、焼物屋・刀屋・傘屋・反物屋・酒屋・湯屋などの街並みが描かれています。
数名の画家と京都の染物師を指揮し、1年余の歳月をかけた苦心のあとは、画伯の手配「南蛮絵更紗海の幸山の幸製作略歴」(北九州市立美術館蔵)に偲ばれます。(現地案内板より)
南蛮絵更紗「山の幸」 和田三造作
染色 木綿 大正7年(1918年) 411.5cm×207cm
和田画伯の製作略歴に「画題は松本家主人の好みにより海と山の図を選ぶ可きを以て方針となせり。」「余は三嶽研究の目的として前に岩越信の山地を後に豆相の山村を跋渉して「山の幸」画稿資料薀蓄に志せり。」とあり、鉱山・炭焼・筏流・窯業・機織・田植・茶摘みなど山村の情景がゆたかに描かれています。中央下部には、制作に従事した画家の氏名が書き込まれています。(現地案内板より)
洋館は建築面積624.9平方メートルの木造二階建で、辰野金吾の設計です。一階は広間を中心にして応接室、主人書斎、客室、食堂などが配置されています。二階は主人夫妻寝室と子供達の部屋が並び、和室も設けられています。
洋館の二階は主人夫妻寝室と子供達の部屋が並び、和室も設けられています。
旧松本邸は、映画やテレビドラマなどの撮影に使われることも度々あります。フジテレビ開局50周年記念番組「わが家の歴史」のロケも行われました。竹野内豊と常盤貴子主演の「流転の王妃・最後の皇帝」のロケも行われました。平成21年(2009年)には、広末涼子主演の映画「ゼロの焦点」のロケも行われました。
松本健次郎肖像画
明治3年(1870年)、安川敬一郎の二男として生まれ、その後、伯父松本潜の養子となる。ペンシルべニア大学で学んだ後、父敬一郎が経営していた炭鉱業に参画。さらに、紡績、電機、製鋼、窯業等の事業を興しました。
明治42年(1909年)に、父とともに私財を投じて明治専門学校(現 九州工業大学)を開校しました。
この建物は、自宅兼迎賓館として、明治45年(1912年)に竣工したものです。
昭和20年(1945年)には、日本経団連の前身である日本経済連盟会の会長に就任するなど、中央の経済活動でも活躍しました。
昭和34年(1959年)戸畑名誉市民となり、昭和38年(1963年)93歳で亡くなりました。(現地案内板より)
洋館の二階の奥に和室があります。暖炉が備えられた和洋折衷の座敷です。照明器具なども和室に合わせたデザインになっていました。
洋館から見た日本館
定食堂
この部屋は元食堂で、家族の食事はここでなされていました。食卓は大・中・小の3台あり、欅(ケヤキ)製のもので、建築と同時にここで製作されました。また、椅子はイギリスからの輸入品でクイン・アン様式のウォールナット製のものです。何れも現存しています。 洋食器などはイギリスに特注したもので、松本健次郎のイニシャルが入っておりました。 西側の飾戸棚は日本趣味を生かした和洋折衷の作品。天女の羽衣の帯が風に舞うようにのびやかな曲線を描いた額縁がめぐり、暖炉廻りの意匠とともに日本におけるアール・ヌーヴォーデザインの最上の例といえましょう。(現地案内板より)
洋館の1階奥に食堂(ダイニングルーム)があります。
食器
洋食器はイギリスに特注したもので、松本健次郎のイニシャル「KM」が入っています。
主の松本健二氏のイニシャル「KM」をデザインした。オリジナルの食器も展示していました。
食堂には、アール・ヌーヴォ様式の装飾が施された作り付けの食器棚があります。
重要文化財 旧松本邸(西日本工業倶楽部)では、結婚式を挙げることができます。チャペル式・神前式・人前式のいずれかで挙げることができます