立場茶屋 銀杏屋
立場茶屋 銀杏屋
所在地:福岡県北九州市八幡西区石坂1丁目4番6号
銀杏屋は、江戸時代に九州で唯一の脇街道であった長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間の「立場茶屋」として、参勤交代の諸大名をはじめ、長崎奉行、巡見使などが休憩したところです。庭に銀杏の大木があるので「銀杏屋敷」、「銀杏の木」とも呼ばれています。
開館時間:10:00~16:30
休館日:月曜日(月曜日が休日の場合は開館し、その翌日が休館)・休日の翌日・12/29~1/3
入館料:無料
主屋
延床面積:258.63平方メートル
1階:195.47平方メートル
2階:63.16平方メートル
銀杏屋は、江戸時代に九州で唯一の脇街道であった長崎街道の黒崎宿と木屋瀬宿の間の「立場茶屋」として、参勤交代の諸大名をはじめ、長崎奉行、巡見使などが休憩したところです。庭に銀杏の大木があるので「銀杏屋敷」、「銀杏の木」とも呼ばれています。
所在する上石坂の地は、大名も駕籠から降りて歩いたという石坂の急坂(木屋瀬宿側)の頂上になり、アケ坂の急坂(黒崎宿側)とに挟まれたこの一帯は黒崎~木屋瀬間の難所でした。
銀杏屋は、原則的には一般旅人の休憩所ではなく、大名たちの「御小休所」でした。宿泊はできませんが、文化9年(1812年)この地方を測量した伊能忠敬や『薩陽往返記事』の著者高木善助など、ここで昼食をした人もいます。
主屋は天保7年(1836年)10月2日の火災による焼失後に建築されたもので、庭の銀杏の大木には今もこの火災の焼け跡が残っています。
銀杏屋は長崎街道に残る「上段の間」をもつ唯一の立場茶屋の遺構として、近世交通史を考える上で重要であるとともに、建築年次が明確で質の高い主屋は、近世の町屋建築を考える上で重要なものです。
当屋敷を長く保存してきた前所有者の清水家は、江戸時代香月村の組頭を勤めたこともある農家で、稲、麦、蕎麦、大豆などの生産のほか、櫨実の仲買を行なっており、明治7年(1874年)頃から明治44年(1911年)頃には醤油の醸造を行なっています。
『永末諸記録』には清水家の農業経営の状況、藩や村の出来事のほか、休憩した大名や長崎奉行などの名前と置銭(チップ)などが記されています。特に、塀、石垣、庭などの施設については藩が補助した記事が見えることから、銀杏屋が他の一般の茶屋とは性格を異にするものであることがわかります。(パンフレットより)