黒崎城跡
黒崎城址
所在地:福岡県北九州市八幡西区屋敷1丁目9番 城山緑地公園
城山またの名を道伯山というこの山には、かつて福岡城の端城の一つ黒崎城がありました。黒崎城は慶長6年(1601年)に築かれました。黒田二十四騎の一人、井上周防之房が城主でした。しかし、元和元年(1615年)幕府の一国一城令により、わずか十数年で城はその役目を終えました。
城山またの名を道伯山というこの山に、かつて福岡城の端城の一つ黒崎城があった。
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの功により52万石の大名として筑前国に入部した黒田長政は翌6年から福岡城の築造にとりかかった。また同時に国境の守りを固めるため慶長15年までの間に、この黒崎城をはじめ若松城(中島城)、大隈城、鷹取城、小石原城、左右良城の六端城を築いた。そして黒崎城には黒田二十四騎の一人、井上周防之房を城主として任じた。
しかし元和元年(1615年)幕府の一国一城令により、わずか十数年で城は破却されてしまった。のち元文3年(1738年)この城の石垣は新田開作(現在の黒崎駅付近)のための護岸に使用された。今では山頂に石垣がわずかに残るのみである。
なお、この山に初めてとりでを築いたのは、天慶2年(939年)、時の朝廷に背いて瀬戸内海に兵を起こし敗れた藤原純友との伝承もあるが、定かではない。
北九州市教育委員会 (現地案内板より)
石垣
城山緑地
黒崎城跡からの眺望
黒崎駅前、黒崎の町並みが見えます。
黒崎一夜城
毎年筑前宿場祭の期間、期間限定で黒崎一夜城が現れます。これは市内の大学や高校の学生が作成したお城のパネルです。
黒崎城は、元和元年(1615年)の一国一城令により、わずか10年あまりで取り壊されました。現在は石垣がわずかに残っているのみですが、地元の学生がパネルに城を描き、黒崎の秋の祭りに合せた短い期間、城山緑地の山頂部に「一夜城」を復活させています。(現地案内板より)