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史跡 常盤橋跡

常盤橋跡

所在地:福岡県北九州市小倉北区室町2丁目

常盤橋は、江戸時代の終わりごろまで基礎が木でつくられていたので、すぐに腐って大雨が降るたびに流され、架けかえられていました。1800年代初期に、当時としては珍しい「石くい」に替えたことで、橋は強度を増し、補修や維持が容易になりました。文政年間に使われた石くいの一部は常盤橋の西岸たもとに残されています。

常盤橋跡2

常盤橋の由来

常盤橋は江戸時代に初め頃、小倉の城下町の東曲輪(主として町人が生活していた地域)と西曲輪(主として武士が生活していた地域)を結ぶ、重要な橋として架けられ、当初は大橋と呼ばれていました。
 この橋の西瀬溜(橋詰)が長崎街道の起点となっていたため橋の周辺は幕府役人や旅人の宿などが建ち並んでにぎわっていました。
 参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、多くの人々がこの橋を渡っています。中でも有名なのがドイツ人医師シーボルトで、この橋を銅版画で紹介しています。このように海と陸の玄関口として、九州の各街道すべてがこの大橋に連なり、九州における日本橋となっていました。
 治水対策として川幅を広げるため橋の架け替えが必要になったのを機会に、コンクリートと同じ強さを持つ木材を使い、江戸時代の姿「木の橋」としてよみがえることとなりました。(平成7年3月完成) 北九州市 (現地案内板より)

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常盤橋の橋脚

ここにある石柱は、江戸時代後期の常盤橋を支えていた橋脚の一部です。小倉城主細川忠興が慶長7年(1602年)紫川の東に東曲輪(城郭)を開いた後、紫川に橋を架けました。最初は「大橋」と呼んでいましたが、元禄5年(1692年)に架け替えたときに「常盤橋」としました。
 文化10年(1813年)洪水に耐え、腐食も防げるからと、試しに橋脚の下半分を二種類の石材に替えてみました。一つは濃灰色の花崗岩で、柱の直径は約30㎝足らずの細いものでした。もう一つは「いのちのたび博物館」に保存している直径約60cmのものでした。両方とも「文化十年酉年 為試建之 三本之内」とあります(どっちらも平成5年の河川改修で出土)。
 ここにある橋脚は昭和初期に引き上げられたものです。文政5年(1822年)の銘が入っていて、直径約60cm、高さは約5.7mの巨大なものでした。民間に払い下げたとき幾つかに切断され、市内数箇所に現存しています。
 建立年月が文政5年、文政10年(1827年)、天保3年(1832年)のものが残っています。
北九州市小倉北区役所 (現地案内板より)

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小倉県庁跡

明治維新後間もない明治4年(1871年)11月から4年間、小倉県が存在し、小倉に県庁を設置しました。範囲は門司から京築・中津・宇佐まででした。明治9年4月福岡県に合併しました。(現地案内板より)

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常盤橋跡11

常盤橋跡周辺には様々な草木が植えられ、四季折々の花がさきます。

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紫陽花が咲いていました。

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