円通寺
禅宗 円通寺
所在地:福岡県北九州市小倉北区妙見町1-30
円通寺は、小倉藩初代藩主の小笠原忠真公が、万治3年(1660年)に馬借町の開善寺近くに建てた圓通庵を起源とする寺院です。
初代藩主小笠原忠真は、万治3年(1660年)に馬借開善寺近くに円通庵を建て、後に2世広寿山住職となる法雲を23歳で住職にしました。寛文4年(1664年)、法雲は即非和尚の弟子となり広寿山を建築する為、現在の本堂の場所に庵を建て円通庵と名付けました。延宝3年(1675年)、広寿山本堂を移すに当たり、円通庵は藩主忠雄の別荘「望海楼」に移転しました。戦後、廃寺同然だった庵を昭和22年、林文照和尚が円通寺として再建しました。
立派な石門です。
円通寺と久女の句碑
圓通寺住職の祖父・隆照和尚は、大正10年から昭和8年まで広寿山25代住職だった。当時小倉に住み、女性俳人として有名だった杉田久女が、広寿山を訪れ多くの句を詠んだ。
漢詩を作る隆照和尚は、久女のよき理解者で、久女の句を多数手元に残していた。
前住職が小倉の俳人武市天魚と久女の句碑を建立する計画を立て、昭和54年に「三山の 高嶺つたひや 紅葉狩」の句碑を建立した。
さらに、久女が広寿山で詠んだ「無憂華の 樹かげはいつこ 佛生會」を久女の長女が平成元年に建立した。
北九州小倉北区役所 (現地案内板より)
円通寺の鐘楼
軒下には開ぱんが下がっています。
「解脱」の額が掲げられていました。