八坂神社
八坂神社
所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2-2
小倉城内にある神社です。小倉城主の細川忠興が元和3年(1617年)に祇園社を鋳物師町に祀ったのが始まりです。明治時代に八坂神社と改名し、昭和8年(1933年)に小倉城内の現在地に移設されました。
御祭神
北殿:須佐能袁命・櫛名田比売命・天之菩卑命・天之忍穂耳命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須比命・市寸島比売命・多紀理比売命・多岐津比売命
南殿:須佐之男命・大名牟遅命・少名比古那命・櫛名田比売命・顯仁天皇
八坂神社御由緒
当神社は遠く貞観年中に祀られてありましたが、元和3年(1617年)の春、小倉城主で名君の細川忠興公が鷹狩りのおり、神霊を感ぜられ改めて神殿を鋳物師町に奉建名も祇園社を称し、旧豊前国の総鎮守として仰がれました。爾来、代々藩主はもとより、小倉城かの尊崇厚く春秋三百有余年
昭和9年現小倉城内北の丸に遷座されたのであります。盛夏の頃七月例大祭は「太鼓の祇園」として親しまれ、全国三大祇園の一つに数えられるのも小倉っ子の意気と熱、その独特のばちさばきによるものであります。映画「無法松の一生」で一躍世界にその名を知られるお祭となりました。(現地案内板より)
中津口門の大石
後方にある二基の大石は江戸時代、古船場の中津口門の石垣で、細川忠興公が慶長7年(1602年)に小倉城を築くとき大谷から運んできた。大石は上富野で動かなくなり、忠興公は頭の富岡某を手討ちにしたので、石は勢いよく運ばれた。村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養した(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されている)これを聞いた小笠原四代藩主忠総公は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ」と言い、これを「細川の大石」「小笠原の割石」と言いった。
明治になり中津や築上の青年が多数小倉に来た。門を入る時、大石を睨むと成功すると言われ一心ににらんだ。これを「大石にらみ」という。中津口門を解体した明治34年に、藤井昇吉が三本松の高倉稲荷神社に大石を移した。平成12年に高倉稲荷神社は八坂神社に合祀されたので石も移した。(現地案内板より)