広寿山 福聚寺
福聚寺
所在地:福岡県北九州市小倉北区寿山町6-7
寛文5年(1665年)、小倉小笠原初代藩主忠真が小笠原家の菩提寺として建立しました。境内には小笠原氏と縁のある人々の墓があります。黄檗宗の古刹として名高い寺院です。
県指定史跡 広寿山 福聚寺
昭和44年5月1日指定
黄檗宗の名刹、広寿山福聚寺は小倉小笠原藩の初代藩主・小笠原忠真が同家の菩提寺として創建したもので、開山は中国僧の即非如一(隠元の高弟)である。
二代藩主・忠雄の時代の延宝7年(1679年)寺地を現在地に改め、七堂伽藍を配置した堂々たる寺院を造営した。寺領は寛文9年以降300石であったが、亨保元年(1716年)に百石を加増された。
慶應2年(1866年)第二次長州征討小倉口の戦いで諸堂の大半を焼失したが、中国風の建築様式を伝える仏殿(通称本堂。亨和2年再建)をはじめ不二門、鐘楼などになお昔日の面影をとどめている。
境内には初代忠真・栄貞院夫妻、二代忠雄、八代忠嘉、九代忠幹の廟所のほか、開祖即非、二代法雲の墓があり、さらに放生池や座禅石などが樹林の中に点在して、自然の景観と歴史的環境がよく調和している。
なお、当寺には黄檗美術品が多数所蔵されており、その中の数点が県有形文化財に指定されている。
北九州教育委員会 (現地案内板より)
黄檗宗は、日本三禅宗(臨済宗・曹洞宗・黄檗宗)の一つです。
九州四十九薬師霊場第六番札所
小笠原三階菱
小笠原家の家紋、三階菱が施されています。