猪に乗る和気清麻呂像
足立山妙見宮
所在地:福岡県北九州市小倉北区妙見町17-1
妙見宮の社務所の左手の桜神苑の更に左手に、和気清麻呂公石像があります。
猪に乗る和気清麻呂像
和気清麻呂と妙見宮創建
神護景雲3年(769年)和気清麻呂公は、皇位を奪おうとした僧弓削道鏡の野望を打ち砕いたが、恨みをうけたため、足の筋を切られ大隅国(現在の鹿児島県)に流されることになった。その途中、船が豊前国宇佐の海岸に着いたとき、道鏡の追っ手から逃れるがごとく、多くの猪が清麻呂公をかばい、その一頭が公を背に乗せて、宇佐神宮の社頭へとお送りしました。特に豊前国規矩郡石川村竹和山麓(現在の足立山麓)湯川に霊泉があり、その水に浴すれば直ちに足の傷は癒えるという神勅をうけ、公は神宮の神馬を借りて湯川の地を訪ねた。霊泉に浴し、不思議にも数日で足の傷は元のごとく癒り、それ以来この山を足立山というようになりました。
公は足が癒えると共にこの山に登り、至誠を尽くして、皇上の安泰と妖僧の退除を17日間断食して記念し、北辰尊星妙見大菩薩即ち、造化三神がはじめてこの山上に降臨し、「汝の願いを聴きとどく」とのお告げを受けました。翌年宝亀元年(770年)天皇の御血統は安泰し、妖人道鏡は下野国に流され、公は平城の京に呼び返されました。公の四男妙運を造化三神降臨の地に送り、足立山妙見宮を11月15日に創建しました。(妙見宮パンフレットより)
妙見宮境内に津田三代吉、米谷勘吉両名の敬神的協力によって1929年に建設された「猪に乗る和気清麻呂公の銅像」は、1944年の銅鉄回収を受け除去され、そのままとなっていました。1953年に再び、米谷勘吉、津田金治、山田一次氏らによって石像として改造され現在に至っています。