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常盤橋

ときわ橋

所在地:福岡県北九州市小倉北区室町2丁目

常盤橋は、福岡県北九州市小倉北区の紫川に架かる木の橋です。長崎街道、中津街道、秋月街道、門司往還の起・終点でした。

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長さ:85m・幅員:6m・完成:平成7年

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長崎街道の起点として古くから橋が架けられていたことや、その昔洪水のたびに橋が流されていたことなどの歴史を考慮し、日本の優れた木橋工法で再現した、昔懐かしい橋の姿です。

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長崎街道

江戸時代後期に全国を計測した伊能忠敬が、文化9年(1812年)1月から長崎街道を測ったとき、西勢溜(西広場)の高札場の下を起点としました。小倉は古くから交通の要地で、太宰府政庁があったころから官道が開かれ、高浜、長浜を通る防人たちが詠んだ歌も残っています。
 しかし、長崎への道が注目されるようになったのは江戸時代になってからです。徳川瀑布は鎖国令を出して外国との門戸を閉ざし、わずかに長崎においてオランダ・中国とのみ貿易が行われました。幕府は慶長8年(1603年)に長崎奉行を設置し、明治元年(1868年)まで続きました。また、寛永18年(1641年)長崎に出島を建設し、オランダ・中国との貿易が固定して、江戸と長崎との往来も頻繁になってきました。
 この道は参勤交代などの往来だけでなく、オランダ商館のケンペルやシーボルトなど外国人や、西洋の文化や物資が長崎から江戸へと流れていく幹線道路となりました。道も整備され、慶長16年(1611年)には黒崎、原田間のいわゆる筑前六宿が完成し、小倉から長崎の間の全長57里(約228km)25宿が定着して、江戸を発する五街道に次ぐ主要な道路となりました。
 この道は当初は長崎路と呼ばれていました。しかし、江戸時代前期に貝原益軒が記した「筑前国続風土記」の中に「長崎街道」の名が出てくるので、江戸時代の割合早い時期から長崎街道といわれていたようです。
 小倉への諸街道が集中する常盤橋周辺の京町・船頭町・宝町・室町には、九州の諸大名が参勤交代で泊まる宿(本陣)や、商人や旅人が泊まる旅籠が多数あり賑わいました。(現地案内板より)

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長崎街道 起点

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長崎街道と筑前六宿

江戸時代には五街道と脇街道があり、長崎街道は九州で唯一の脇街道でした。57里(約240km)のこの街道には25ヶ所の宿場があり、このうち福岡藩内の黒崎、木屋瀬、飯塚、内野、山家、原田の各宿は筑前六宿とよばれ、大変な賑わいをみせました。
長崎街道は当時鎖国体制の二本で、唯一外国との文化交流や通商の窓口であった長崎から西洋の文化や新しい技術などを日本に伝える文明の道として重要な役割を果たしていました。参勤交代の大名や長崎奉行だけでなく伊能忠敬、シーボルトのほか象や孔雀等の動物もこの長崎街道を通りました。

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これより西へ 長崎まで 五十七里(228km) 長崎街道 起点 室町

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伊能忠敬記念陶板

常盤橋7

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常盤橋9

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