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ああ白洲灯台

小倉城

所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2番1号

小倉城本丸跡には、白洲燈台創建者・岩松助左衛門翁顕彰碑や旧第十二師団司令部の正門などがあります。

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あゝ白洲燈台

白洲燈台創建者 岩松助左衛門翁顕彰碑
白洲灯台は、西海一の難所というところにありました。この塔は白洲灯台の建設功労者岩松助左衛門が設計した白洲灯台を模したものです。

小倉城2

この記念碑のそばには枝垂桜が満開でした。

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白洲灯台

白洲は小倉から16.1km、響灘の荒波に洗われる小さな岩礁である。西海一の魔の海と船頭たちに恐れられ、付近の暗礁では遭難するもの数知れず多くの人命が失われた。白洲灯台の建設功労者岩松助左衛門は文化元年(1804年)企救郡長浜浦に生まれた。彼は文政4年(1821年)庄屋になり、文久元年(1861年)58才のとき小倉藩から海上御用掛難破船支配役を命ぜられた。そして、白洲付近で難破する船の救助に出勤し、その惨状に灯台建設の大望を抱いた。文久2年4月5日白洲灯籠台築立願書を藩に提出、彼の熱意で僅か20日で許可が下がった。助左衛門は私財を投げ打ち、寝食を忘れ東奔西走したが、明治5年(1872年)4月25日完成を見ないで病没した。しかし、その半年後の11月1日政府の手で念願の仮点灯ができた。
この塔は岩松翁が設計した白洲灯台を模したものである。
塔の高さ約9メートル、台の広さ約25平方メートルとなっている。
小倉北区役所(現地案内板より)

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小倉城3

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旧第十二師団司令部の正門

明治8年に歩兵第十四連隊が小倉に設置された。明治18年には小倉城松の丸跡に既設の第十四連隊と福岡の歩兵第二十四連隊を管轄する歩兵第十二旅団本部が開設された。ついで明治29年、西部都督部が歩兵第十二旅団本部跡に開庁した。明治31年、これらの隊と下関要塞砲兵連隊ならびに北方に創設された各隊をもって第十二師団が生まれ、その司令部庁舎が本丸跡に建てられた。
 この煉瓦造の正門は当時のもので、明治32年6月から約3年間、第十二師団の軍医部長を努めた森鴎外もこの門を通って登庁した。なお、司令部は軍縮により大正14年久留米に移転することになる。(現地案内板より)

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復元記念碑

この野戦銃砲の特徴は、砲架者と砲牽者に区分し、機動力増大、湾曲弾道の採用と発射速度の増強は、用兵技術の進歩戦略の妙と共に、我国野戦砲の雄と称賛された。(現地案内板より)

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花塚の記

昭和36年に、北九州いけばな協会の前身である北九州華道連盟により建立された。この碑は、愛すべき花の霊を供養し、また花道人の心の支えとなっている。昭和54年から小倉北花道協会が引き継ぎ、毎年十月の花塚まつりに花供養を行なう。
北九州市 (現地案内板より)

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