小倉城
小倉城
所在地:福岡県北九州市小倉北区城内2番1号
現在の小倉城は、昭和34年(1959年)に再建された天守閣が小倉の街のシンボルとなっています。勝山城、勝野城、指月城、湧金城、鯉ノ城などの別名があります。
4月~10月開館時間:9:00~18:00
11月~3月開館時間:9:00~17:00
入館は30分前まで
休館日:無し・年中無休
小倉城天守閣入館料:一般350円・中高生200円・小学生100円
小倉城は北九州市小倉北区にあり、周辺には、北九州市役所、リバーウォーク(複合商業施設)、JR西小倉駅、旦過市場などがあります。
小倉城の天守閣は、昭和34年(1959年)に市民の熱望によって再建されました。小倉城の天守閣は唐造りと呼ばれ、4階と5階の間に屋根のひさしがなく、5階が4階よりも大きくなっているのが特徴的です。
1990年(平成2年)には、小倉城の全面改装が行なわれました。
1998年(平成10年)には、小倉場内に小倉城庭園と松本清張記念館が開館しました。
小倉城の石垣は、切石を使わず、野面積みで素朴で豪快な風情にあふれています。
天守閣の規模
一重目:東西15間(約27.0m)×南北13間(約23.3m)
二重目:東西12間(約21.6m)×南北10間(約18.0m)
三重目:東西9間(約16.2m)×南北7間(約12.8m)
四重目:東西7間(約12.8m)×南北5間(約9.0m)
五重目:東西8間(約14.4m)×南北6間(約10.8m)
天守閣高さ:12間3尺5寸(約22.6m)
石垣高さ(水面より):9間半(約17.1m)
矢狭間:111ヶ所
大窓:61ヶ所
石落し:3ヶ所
畳数:896枚
残念なのは、お堀の水があまり美しくないことです。これでも以前よりは改善されたそうですが…。
城の東を流れる紫川、西を流れる板櫃川を天然の濠とし、足立山を源として旦過橋付近で紫川に合流する寒竹川も濠として利用し、寒竹川流域の三本松附近から北、海に至るまで濠を掘り、これを東の外濠にした(現在の砂津川)。紫川から東の外濠まで約1キロメートルの間の地を開発して、碁盤目の町割りをし、新たに東曲輪を造成した。
この城の特徴として、次のようなことが考えられる。本丸・松ノ丸・北ノ丸を中枢部とし、その北・西・南に二ノ丸、二ノ丸の西・南に三ノ丸を設け、それぞれを濠で囲んだ。本丸の天守閣を中心として、東側と北側はそれぞれ三重の濠、西側は四重~五重の濠、南側は四重の濠で囲まれていた。
城の石垣は切り石を使わず、主として足立山から切り出した野面石で、まことに堂々としており細川忠興自慢の一つであった。寒竹川流域の三本松付近と板櫃川流域の平松地蔵橋付近の二カ所に水門を設け、いざというとき水門を閉じれば川の水が溢れて一面泥海となり、城攻めの敵軍は動きがとれなくなる設計にしていた。(現地案内板より)
小倉城天守閣
小倉城天守閣入口
大手門跡
城の玄関口となる門で、立派な巨石を多用した正門にふさわしい門です。
槻門跡
槻門は藩主、公儀役人の他、家老や主な寺の住職のみが通行を許された門です。
鉄門
鉄門(くろがねもん)は、中老以下一般武士が通行していました。現在の左半分が往時のものです。
多門口門跡
多門とは本来長屋の事で、本丸から北の丸への通り道の門です。
響灘の珪化木
木の幹が地層に埋もれて、化石に変わったものを珪化木と呼びます。この珪化木は、響灘の海底から引き揚げられたもので、今から約4000万年前のものです。木の種類はわかりません。北九州市内の珪化木としては、戸畑区の夜宮の珪化木(天然記念物)もあります。(現地案内板より)
着見櫓
小倉城の着見櫓として、櫓上にて沖からの通航船を監視した櫓です。木造三重二層三階塔屋付、延べ330平方メートルの構造で、当時の場所にそのままの姿を再現しています。現在は、1階に漬物処糠蔵が営業しています。
漬物処 糠蔵
営業時間:11:00~16:00
定休日:毎週月曜日(月曜日が祝日の場合翌日が店休日)
元女子プロレスで活躍した、デビル雅美さんが店長をされています。
糠漬をはじめ、漬物材料、郷土産品、弁当などを販売しています。
小倉城主、小笠原忠真公は、ぬか漬けが盛んな信州松本を統治していた事もあり、大変ぬか漬けを好んでいました。小倉城入封の際にも、ぬか床を持ち込み、城下の人々にもぬか漬けを奨励しました。その後ぬか漬けは現代に至るまで、城下の各家に代々受け継がれ、「百年床」というぬか床があるほどです。小倉は全国的に最もぬか漬けが根付いた土地柄となりました。
ぬか漬けは生で野菜を食べるより、ビタミン類・乳酸菌が豊富で、体のバランスを整える作用があります。糠蔵は郷土の伝統的な食文化を次世代に伝え、美味しく健康的な食物を提供するお店です。(小倉城パンフレットより)