祝賀パレード
門司みなと祭
開催地:北九州市門司区門司レトロ地区
紹介文
門司市民会館前出発しましたが、生憎の曇天、途中小雨もぱらつき、風も強い。しかし悪天候にも負けず、この素晴らしい明るい笑顔。笑顔いっぱいで元気良く、溌剌と行進していました。
門司みなと祭の歴史
昭和6年3月に門司港の修築工事が完成した際、みなと祭の計画が商工会議所のなかで持ち上がった。翌7月に大連定期航路が、また、9年には天津航路が開設され、門司港は国際港としての地位を確立した。これを背景として、昭和9年には当時の商工会議所会頭(出光左三氏)の音頭により、第1回門司みなと祭が5月1日から3日間盛大に開かれ、船に関係のある出し物が多く、町内のシャギリ、芸者衆の総出演、在郷軍人の軍旗祭、和布刈神社の玉替え行事等で、祭り気分は町を埋めつくした。こうして11年まで3年間続いたが、翌12年華事変の勃発によって自粛し中止した。戦後、市街地はもちろん港湾施設の大部分が破壊され、人心も沈滞していたが、市民が13日から3日間のみなと祭が、市長以下の市職員が行なう仮装行列を中心に復活した。
昭和24年には、門司港航行の安全宣言が行なわれ、祭りは次第に町中心に変わってゆき、旧国鉄・会社・工場、商店街、花柳界も繰り出した。また、当時の新聞社の主催でミス門司みなと祭りを選出、祭りに華を添え、日本三大みなと祭(横浜、神戸、門司)とまで言われる程の盛況をみせる港都門司の伝統行事となった。(昭和29年から61年までは、各校区からミス約21人を選出)また、平成10年の祭りには青森市のねぶた、函館市のいか踊り、下関市の平家踊り、当市門司区の大里電照山笠、田の浦提灯山の海峡4都市のまつりが集合し、大盛況となり人出も多く一層の賑わいをみせた。
このように長い伝統のある門司みなと祭は、当時の門司港の隆盛を風靡し、経済界を中心として発足したものであり、後に市民参加の祭りとなり、祝賀パレード、ミスポート門司の選出、艦船公開、バナナの叩き売りなどが披露され、門司地区内外から多数の見物客であふれている。(門司みなと祭パンフレットより)