和布刈神社
和布刈神社
所在地:福岡県北九州市門司区門司3492
仲哀9年(200年)に創建されたと伝えられています。別名、速門社、早鞆明神とも呼ばれることがあります。毎年旧暦の元旦の未明(2:00~3:00)に行われる和布刈神事でも有名な神社です。
和布刈神社の大鳥居
和布刈と書いて、めかりと読みます。和布刈神社は、関門海峡のすぐ下、関門海峡が最も狭くなった、潮の流れの速い早鞆の瀬戸に面して建つ、門司区で最も古い神社です。仲哀天皇9年に比賣大神、日子穂々手見命、うがや葺不合命、豊玉日賣命、安曇磯良神の五柱の神を祭神として創建されました。
昭和三十三年四月吉日と鳥居に記されています。
関門海峡にかかる関門橋のすぐ下に位置しています。大きな石の鳥居が目印です。境内にも潮風が吹いています。3月の下旬から4月の初旬は、辺りに桜がたくさん咲きます。
義経・平家伝説ゆかりの地
仲哀天皇9年(200年)に創建。新平家物語では壇之浦の合戦前夜神宮橘魚彦による祝詞と神酒で、平家の勝利を祈願したとされる。毎年旧暦元旦の和布刈神事は有名。
北九州市 (現地案内板より)
御手水場
和布刈神社の狛犬はひとつは小さな狛犬の上に片足を置き、もうひとつは玉の上に片足を置いています。
鳥居
和布刈神社の社殿
狛犬阿形
狛犬は潮風で随分磨耗されていました。
狛犬吽形
鳥居と石燈籠
石燈籠
潮風で風化した石燈籠
和布刈神事
九州最北端に位置するこの神社は、社記によると、仲哀天皇9年に比賣大神、日子穂々手見命、うがや葺不合命、豊玉日賣命、安曇磯良神の五柱の神を祭神として創建され、江戸時代までは、速戸社とか隼人社と呼ばれていました。
近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、細川氏、小笠原氏の崇敬庇護厚く、神殿前には細川忠興公が寄進した燈籠があります。
この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和銅3年(710年)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行なわれていたものです。
神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめを刈り採って、神前に供えます。
わかめは、万事に先んじて、芽を出し自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。
神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民俗文化財に、また、当神社に伝存する中世文書九通は、市の有形文化財に指定されています。
北九州市 北九州市教育委員会 (現地案内板より)
鳥居と灯籠
この鳥居の下に海へと降りて行く石段があります。
石段
和布刈神事を行う際、ここから海へと降りていきます。
海中の石燈籠
謡曲「和布刈」と和布刈神事
ここ和布刈神社では、毎年12月晦日寅の刻(午前四時)に神官が海中に入って水底の和布を刈り、神前に供える神事がある。
今日はその当日なので、神職の者がその用意をしていると、漁翁(竜神)と海士女(天女)とが神前に参り「海底の波風の荒い時でも、和布刈の御神事の時には竜神が平坦な海路をお作りなさるから出来るのである」と神徳をたたえて立ち去った。
やがて竜女が現れて舞い、沖から竜神も現れて波を退け、海底は平穏になった。
神主が海に入って和布を刈り終わると波は元の如くになり、竜神は竜宮に飛んで入る。神前へ御供えの後最も早い方法で朝廷へ奉じられた。忠実に現れたのが元明天皇和銅3年ですので、それ以前神社創建時より御供えとして用いうる為神事が行われていたと思われます。
謡曲史跡保存会 (現地案内板より)
松本清張文学碑
神官の着ている 白い所属だけが火を受けて、こよなく清浄に見えた。
この瞬間、時間も、空間も、古代に帰ったように思われた。
小説「時間の習俗」より (碑文より)
九州最北端参拝記念
顔出しパネルです。
高浜虚子句碑
夏潮の 今退く平家 滅ぶ時も
高浜虚子先生が昭和16年6月1日に詠まれたものです。
鳥居
社務所
社務所ではお札や御守を販売しています。学業の御守や海上安全の御守などもあります。