門司埼灯台
門司埼灯台(もじさきとうだい)
所在地:福岡県北九州市門司区和布刈
関門海峡の最も狭くなっている部分に位置します。頭上には関門橋、海中には関門トンネルが通っています。
位置:北緯33度57分44秒・東経130度57分47秒
光り方:等明暗白光 明3秒暗3秒
光の強さ:110カンデラ
光の届く距離:5.5海里(11.0キロメートル)
高さ:地上から灯台頂部が約7.6メートル・水面から灯火が約9.9メートル
管理事務所:門司海上保安部(現地案内板より)
関門海峡は鳴門海峡、来島海峡とともに日本三大急潮流の一つに数えられ、特にここ早鞆瀬戸では大潮時最高流速は10ノット(時速約18km/h)にもなります。また、同瀬戸は航路幅が500メートルと狭く、加えて一日約600隻の船舶が通航する、海の難所となっています。門司埼灯台は、大正13年(1924年)に建てられ、以来この危険な海域を航行する船舶の安全を守るため、毎夜明かりを灯し続けています。(現地案内板より)
門司埼灯台の近辺は、大きなタンカーなどが通った後は、波がすごいです。小さな釣り船などがすごく揺れています。
浮くっちゃボトル
「浮くっちゃボトル」は、応急的な救命用具の代用品です。
句塚
この句塚は、門司港の観潮遊歩道を和布刈神社に向かって歩いてく途中の門司埼灯台のすぐそばにあります。
句塚の由来
寿永4年(1185年)3月24日、ここ壇ノ浦海域において、源義経率いる源氏軍と平知盛率いる平家軍の壮絶な戦いに平家軍は壊滅しました。御座舟に在る二位尼は、宝剣、神璽を携え、幼帝安徳天皇を抱いて「浪のしたにも都のさぶろうぞ」と急流の潮闇に身を投じました。
この俳句塚百句は、門司俳人協会が二位尼をはじめ多くの女官の供養と、壇ノ浦の合戦に海の藻屑と散っていった源平数千の人々の哀史を語りつぐ証に設けたものです。(現地案内板より)
ここは、魚釣りをしている人をよくみかけます。
早鞆の瀬戸の急流を眺めながら、ここで俳句をひねるのもいいですね。関門海峡の潮風がいい智恵を運んでくれるかも…。
「早鞆の 瀬戸を眺める 句塚かな」JOY
「小さき手を 繋ぎ眺める 春の海」JOY
句塚
句塚がたくさんありました。姫だるまのような石の人形の背中に俳句が刻まれています。二位尼をはじめ多くの女官の供養のために建てられたひとつのようです。