巌流島
巌流島(がんりゅうじま)
所在地:山口県下関市大字彦島字船島648番地
巌流島は関門海峡に浮かぶ無人島です。正式名称は、船島(ふなしま)です。
慶長17年(1612年)4月13日に、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行なわれたことでも有名です。武蔵に敗れた佐々木小次郎の流派「巌流」をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。
龍馬と下関
慶応3年(1867年)春、下関(本陣・伊藤邸)に世帯を構えた坂本龍馬とその妻お龍。ある夜、巌流島にこっそり渡り、花火を打ち上げたと、後年、お龍が語っています。(現地案内板より)
散策道
松の木
白い雲のわいている姿に、小次郎の面影が見える。この後も、絶えず忠爾の眼に浮かんで消えることのないであろう小次郎の生きている面影であった。
原作 村上元三 佐々木小次郎より(碑文より)
巌流島の決闘
慶長17年(1612年)4月13日。船の形に似ていることから「舟島」と呼ばれる彦島沖に浮かぶ小島で、武蔵・小次郎が雌雄を決した。小次郎の物干し竿に対すべく武蔵は行きの船上で櫂を削る。仕合開始が午前8時にも関わらず、陽が高く昇りきったころ武蔵は舟島へ。
「武蔵!遅参とは何事か。臆したか!。」というや物干し竿を抜き放ち鞘は波間へ。それを見た武蔵はにやりと笑いこう叫んだ。「小次郎破れたり!。」(現地案内板より)
武蔵VS小次郎像
武蔵は下関市の広瀬直樹氏、小次郎は小次郎とゆかりのある岩国市の彫刻家・村重勝久氏がデザインしました。除幕式にはNHK大河ドラマで武蔵役をした市川新之助さんと小次郎役を演じた松岡昌宏さんも出席されました。
関門海峡を背景にして、躍動感溢れる像
宮本武蔵
生まれは、兵庫県とも岡山県英田群宮本村ともいわれている。生涯を剣術探求に捧げ、生み出した兵法が、大刀を右手に小刀を左手に持ち、自在に操る二天一流である。わずか13歳にして初めての仕合をかわきりに吉岡一門との仕合、大阪冬・夏の陣の激戦も経験。小次郎との「巌流島の決闘」等、多くの仕合に勝ってきたが、ほとんどが撲殺だともいわれている。謎に包まれた天下無双、宮本武蔵。(現地案内板より)
佐々木小次郎
周防国岩国とも福井県足羽の生まれとも、とにかく出自、生年月日などが謎に包まれている。中条流を学び、剣の腕を磨いた、剣の天才であった。自ら厳流という流派を興し、刃渡り90センチ以上もある長刀を操り、小倉藩の指南役に抜擢される。
頭上から一気に振り下ろし剣先を翻して下から切る「燕返し」をもって巌流島(船島)にて武蔵と対決す。(現地案内板より)
人工海浜
決闘の場所をイメージして作られた白い砂浜。浜辺には武蔵が乗ってきた舟も再現されています。
海岸の流木
伝馬船
この伝馬船は、下関市山陰方面で使用されたものですが、武蔵が伝馬船に乗って巌流島に渡り、小次郎と戦ったその当時を偲んでいただくことをイメージして設置していますので、船に乗ったり、触ったりしないで下さい。
巌流島奉行 下関市長 (現地案内板より)
この島に 二人降り立ち 闘ひし
むかしの男 恋ほしかるかな 森重香代子
関門汽船
島の北端に船着場が設けられていて、下関港(唐戸桟橋)や北九州港(門司港)から、関門汽船により船便が運航されています。また、彦島江の浦桟橋からのチャーター船などや、下関唐戸と巌流島を運航する巌流島上陸クルーズも運航されています。[
三菱重工の建屋が見えます。
関門橋と関門海峡
関門海峡の真ん中から関門橋を眺めることが出来るのは、巌流島だけです。
下関
中央に見えるタワーは、海峡メッセです。