サクラビール
門司麦酒煉瓦館
所在地:福岡県北九州市門司区大里本町3丁目6番1号
1階エントランス右手にあります大正浪漫の部屋には、門司麦酒工場史、サクラビールショーウィンドウ、ビール広告検索、工場建設プロセス、工場復元模型、ビールの製造・出荷のプロセス、煮沸窯設計図、輸出ビールラベルステージなどのコーナーがあります。工場復元模型も大変精巧に作られていて興味深いです。
サクラビール
明治45年(1912年)に鈴木商店と地元資本により「帝国麦酒株式会社」が誕生しました。所在地は現在の福岡県北九州市門司区大里本町であり、商標は「サクラビール」としました。大正2年7月に「サクラビール」を発売し、鈴木商店が大正13年迄販売を行い、サクラビールの販売は世界中に輸出されました。
鈴木商店破たん後も操業を続け、昭和18年に帝国麦酒から「櫻麦酒」と社名を変更し、大日本麦酒との合併に至りました。その後、巨大ビール会社「大日本麦酒」として終戦を迎え、昭和24年(1949年)9月に2社に分割され、日本麦酒と朝日麦酒が設立されました。
門司市大里
櫻麦酒株式會社 出品
装飾師 天山夏房
サクラビールの復刻版なんて発売されたら面白いですね。きっと売れそう。
ショーウィンドウの中にちらりとみえます女性のポスターは、町田隆要氏の作品です。ショーウィンドウに飾られているポスターやラベルもも正に大正浪漫ですね。
麦酒浪漫スコープです。
サクラビールの箱
箱に書かれている文字が右から読むのがなんともレトロです。
サクラビールのラベル
サクラビール
サクラビールの瓶
サクラビールの瓶にもサクラのマークがデザインされています。デキャンタやグラスにもサクラがデザインされています。
ビール広告検索
タッチパネル式(画面にタッチする)で、ビール広告を検索閲覧することできます。
当時のサクラビールの広告は、町田隆要氏の作品を初め、大変目をひくものが多かったそうです。今見ても、モダンでハイカラで、斬新でおしゃれなポスターやキャッチフレーズが印象的です。古いはずの広告が反対にとっても新鮮でした。
また、タッチパネル形式のビール広告検索では保呂利陽太というキャラクターや古い広告があり、大変興味深かったです。
新聞掲載広告
昭和5年8月11日 東京朝日新聞に掲載された広告
マントルピース
マントルピース(暖炉)の天板丈夫の飾り幕板の中央にも桜の花弁が掘り込まれています。