和布刈公園
和布刈公園
所在地:福岡県北九州市門司区旧門司2丁目
和布刈公園は、福岡県北九州市門司区和布刈地区にある公園です。和布刈公園は、神戸・六甲から続く瀬戸内海国立公園の終点です。関門海峡、関門橋、門司港レトロの町並みなどがよくみえる絶景ポイントです。
早鞆の瀬戸を眼下に、周防灘と響灘、門司港レトロ地区などを一望できます。
様々な草木が茂り、四季折々の花々が目を楽しませてくれます。関門海峡を行き交う船の汽笛も聞こえます。
和布刈の名の由来
この公園のすぐ近くにある和布刈神社が、毎年旧暦の大晦日夜中から、元旦の早朝にかけて和布刈神事という神事を行ないます。この神事は、和布刈神社の前の海(関門海峡)に神主さんたちが入り、その年初めて神に捧げる和布(わかめ)を刈りとるというものです。それからこの神社が和布刈神社と呼ばれるようになり、さらにその地域が和布刈(めかり)と呼ばれるようになったそうです。
※門司港観光ボランティアの方から教えていただきました。ありがとうございました。
公園内には桜の木がたくさんあり、桜の時期は大変美しい景観になります。
満開の桜
桜
第2展望台
中村汀女 句碑
延着といへ 春暁の 関門に 汀女
春の暁の関門海峡のすばらしい景色を見て、延着したことさえ許せるような清々しい気持ちになったのでしょうね。
ベンチの下に見える石塔は、明石与次兵衛塔です。
明石与次兵衛塔
文禄元年(1592年)7月、朝鮮出兵のため名護屋城(佐賀県)にいた豊臣秀吉は、母の急病を聞き急遽大阪城に向かった。途中、関門海峡最大の難所といわれた「篠瀬」で御座船が座礁し、秀吉は危く難を逃れた。船奉行であった明石与次兵衛は、その責任を負って大里の浜に上陸し割腹して果てた。
のち慶長5年(1600年)豊前国の領主として入国した細川忠興は、与次兵衛の死を悼むと共に、往来船舶の安全のため「篠瀬」に与次兵衛塔を建てて示標とした。
大正初年頃から始められた海峡改良工事で、この塔は運輸省第四港湾建設局(下関市)の構内に移され、第二次大戦中は戦災を避ける為か、海中に沈められていた。
戦後、門司郷土会その他の有志が引き揚げ、昭和30年4月海難守護神として和布刈公園に再建したが、関門橋建設に伴い昭和47年この地に移した。
この塔のことは、江戸時代我が国を訪れた外国人の紀行文にも記されているが、特にシーボルトの著述した「日本」の中には塔のさし絵があり、当時の姿をしのぶことができる。
なお、塔の側の「明石の石」(硬砂岩)は、与次兵衛の出身地である明石市大久保町の秀吉ゆかりの光触寺から贈られたものである。
北九州市教育委員会 (現地案内板より)
山吹
花蘇芳
チューリップ
チューリップが開ききっていました。
源平小菊
源平小菊は、白い花が時間が経つに連れ赤く(ピンク)変化することから、源平(赤白)と名付けられたようです。和名は、ペラペラヨメナ。
関門海峡のすぐそばに、奇しくも源平小菊が咲いていました。最初は白い花ですが、段々ピンクに変っていきます。不思議な花です。