僧清虚像
僧清虚像
所在地:福岡県北九州市門司区白野江大字部埼灯台
昭和48年に部埼灯台下の岩場に、僧清虚の像が建立されました。
僧清虚は天保9年(1838年)諸国巡礼の途中、この付近で難破が多いことを知り、浜にとどまり、死ぬまでの13年間、火焚場の火を焚き続けました。
僧清虚像
台座込みの高さ:14m
建立:昭和47年(1972年)
制作者:小森紫虹
僧清虚
僧清虚の名は、もとは太兵衛と言い、江戸時代最後の安永6年(1777年)に現在の国見町伊美友康の松本家に生まれました。家業の指物職に励んでいましたが、若い頃村祭りの奉納相撲で相手を誤って投げ殺してしまいました。ものの弾みということで無罪放免となりましたが、太兵衛はkのことを大変憂い、その罪を償おうと諸国を行脚していた船中で、念佛埼(狐岬)と呼ばれている文字の部埼沖で度々夜の船の難破で多くの人や船荷が亡くなることを聞き、何とか多くの人命を救おうと、下船し火を焚き続けることを決心しました。
乞食坊主、一食坊主と蔑まれながらも托鉢をして焚火の資金を集め、74歳で世を去るまでの13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続け、灯台の役目を果たしました。清虚の死後は地域の人に引き継がれ、清虚が焚火を炊いた近くの高台に西洋式灯台が建てられました。