僧清虚火焚場跡
僧清虚火焚場跡
所在地:福岡県北九州市門司区白野江大字部埼灯台
昭和48年に部埼灯台下の岩場に、僧清虚の像が建立されました。
僧清虚は天保9年(1838年)諸国巡礼の途中、この付近で難破が多いことを知り、浜にとどまり、死ぬまでの13年間、火焚場の火を焚き続けました。
僧清虚火焚場跡
僧清虚火焚場の復元について
この地、部埼は、その昔、狐埼、念佛埼と呼ばれた暗礁の多い航海の難所でした。
天保7年(1836年)僧清虚(大分県国見町出身)は、国見町竹田津港から下関経由で高野山へ修道に向かう途中、この難所に気付き、何とか多くの人命を救おうと、下船し火を焚き続けることを決心しました。そこで清虚は、日中托鉢で得た糧を焚料の買い入れにあて、一日一食の生活を続け、74歳で世を去るまでの13年間、雨の日も風の日も読経とともに火を焚き続けました。
海難防止のため、火を焚き続けた清虚の偉業は、没後、明治5年に現在の灯台が建設されるまで、村人によって受け継がれました。当時の火焚場は、現在の灯台の後方山頂付近ン位建造されていましたが、大雨で流出落下し現存していません。
長い歳月を火焚きに生命の炎を燃やし続けた清虚の偉業を後世に伝承するため、この地に航海安全を祈る火が灯されてから170周年を記念して、ここに火焚場を復元したものです。清虚氏の偉業は永遠に海難防止に慈愛の光を輝かすでしょう。
平成20年10月 門司僧清虚顕彰会 社団法人北九州観光協会(現地案内板より)