平尾山荘
平尾山荘
所在地:福岡県福岡市中央区平尾5丁目2-28
幕末の女流歌人として、また維新の先覚者の一人として異彩を放った野村望東尼(1806年~1867年)の山荘跡地です。
現在の地籍は、福岡市中央区平尾5丁目2番28号ですが、望東尼閑居の当時は、平尾村の通称・向岡と呼んでいました。
野村貞貫夫妻が始めてここに草庵を作り閑居したのは、望東尼40歳の秋でしが、準備に着手したのは、その6・7年前のようですす。
野村望東尼像
54歳の時に夫を喪い、博多の曹洞宗明光寺住持元亮巨導禅師によって剃髪し、向陵院招月望東禅尼となりました。このころから勤王の志を抱き、平野国臣、中村円太、長州の高杉晋作等を庇護しました。しかし、慶応元年(1865年)10月に望東尼は捕えられ、糸島の姫島に流されました。11カ月間幽閉され、高杉晋作に救い出されて馬関に移り、さらに山口県防府の三田尻に移り、慶応3年(1867年)11月、62歳で没しました。