曹洞宗 永福寺
永福寺
所在地:福岡県福岡市西区能古島
創建年代は不明であるが、金龍寺9世延雪玄祝によって文禄2年(1593年)開かれたといわれる。明和と寛政時代に火災にあい、古い記録など焼失したといわれて不明の点が多い。慶長7年(1602年)の検地帳によると、能古には神宮寺のほか2寺があったと記されており、明治元年(1868年)神宮寺がほかの1寺を合併して永福寺と改称した。(現地案内板より)
永福寺
禅宗の寺である永福寺は、曹洞宗金龍山の末寺です。昔は神宮寺という名前でしたが、明治初年に永福寺と変えました。いつの創建かは明らかではありませんが、慶長7年(1602年)の検地帳に記されていることから、それ以前の創建とみられています。
境内には、能古島出身の洋画家多々羅義雄(1894年~1968年、能古博物館に作品が収蔵されています。)の歌碑や、昭和21年に遭難し、28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
(曹洞宗:道元[1200年~1253年]が13世紀に中国(宋)から伝えた仏教で、禅宗の一派。永平寺・総持寺を大本山とする。(現地案内板より)
参道の石段
本堂
昭和36年に改築されました。
寺号額
石碑
産砂は 伊筑紫くに 能古ヶ島
夕陽の灘をば 何と拝まむ
義雄(碑文より)
達磨と観音像
達磨
二八観音
能古渡海船転覆事故の犠牲者の霊を弔うために建てられた観音像です。
二八観音の由来
二十八人の遭難者に因み、二八観音としました。昭和21年10月5日能古渡船転覆遭難物故者の霊を慰め航路の安全を祈り、之を建つ
昭和43年10月5日 建立願主 遺族一同
<碑文>
うなぞこ眠れる二十八の御霊よ 安らかに眠りたまえ
風強き日は風静めよ 波荒き日波静めよ
今 歳老いしその妻が 今成長のその子らが ここ碧海の丘に涙するを慰めよ
島 秋にして稲の実りのたわわなれは 柿の実りの美しければ 御霊よ安らかに眠りたまえ
(現地案内板より)