濡衣塚
濡衣塚
所在地:福岡県福岡市博多区千代
聖武天皇の頃、継母に無罪の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓と伝えられており、濡衣塚と呼ばれています。
古跡 濡衣塚
濡衣塚は、「濡れ衣」という言葉の由来になった塚です。聖武天皇の時代に、京都から筑前の国司として赴任した佐野近世は、妻と一人娘・春姫を連れてきましたが、在任中に妻が亡くなったため、土地の娘を後妻として迎え一女を授かりました。ところが、後妻が連れ子の春姫を疎ましく思い、漁師に「春姫が釣り衣を盗むので困っている」と近世に訴えさせ、その証拠にと、濡れた釣り衣を着て眠っている春姫の姿を見せられた近世は逆上してその場で春姫を切って捨てたそうです。一年後、近世の夢枕に無実を訴える春姫が現れ、自分の行動を悔いた近世は出家して石堂川の畔に濡衣塚を造ったとされています。
「無実の罪を負わされる」という意味の「濡れ衣」の語源で有名な碑です。