博多べい
櫛田神社
所在地:福岡県福岡市博多区上川端町1-41
豊臣秀吉の太閤の博多町割りによって、よみがえった市街には焼け石、焼け瓦が厚く塗り込められた「博多ベい」と呼ばれる土べいが長く連なりました。櫛田神社の「博多べい」は博多三傑の一人嶋井宗室の屋敷で三百八十余年の風雪に耐えた最後の「博多ベい」を移築再建したものです。
博多べい
博多べい 櫛田神社境内の博多べいは、博多三商傑の一人であった 島井宗室の屋敷跡にあった、三百八十年以上も風雪に耐えた博多べいを移築したものです。 博多べいとは、博多独特の土塀のことです。 天正15年(1587年)に、豊臣秀吉の太閤の博多町割によって 戦災から復興した博多の町に博多べいが長く連なりました。 博多べいは、郷土再興を祈願して、焼け石や焼け瓦などが土の中に厚く塗り込められています。
川上音二郎の寄進碑
我が国、新演劇の祖・川上音二郎は、文久四4年は方は中対島小路の商家に生まれた。14歳の時上京し、後に大阪で政治運動に関与して自由童子と号して活躍した。その後芸能界に身を投じ、世相を鋭く風刺したオッペケペー節は世の喝采を博した。新演劇(書生芝居)を初演したのは明治24年2月、48才で逝去するまで夫人貞奴と共に外遊すること3回、日本劇を外国で上演し、シェークスピア劇を我が国に紹介し、児童劇を創始するなど演劇史に残した功績は誠に大きい。この記念碑は、彼が上京後、生まれ所在の土地家屋を当社に寄進したとき残したものである。 櫛田神社(現地案内板より)