楼門と本殿
筥崎宮
所在地:福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
延長元年(923年)創建で、祭神は、応神天皇、神功皇后(応神天皇の母)、玉依姫命。文永11年(1274年)の元寇の際に社殿を焼かれたほか、何度かの火災に見舞われましたが、天文15年(1546年)大内義隆により現在の本殿と拝殿が、文禄3年(1594年)には小早川隆景により楼門が再建され、いずれも国の重要文化財に指定されています。境内には、「蒙古碇石」などがあります。(現地案内板より)
大社 筥崎宮
祭神:応神天皇(八幡大神)・神功皇后・玉依姫命
例大祭:9/15
特殊神事:玉取祭(玉せせり 1/3)、社日祭(お潮井とり 春秋二季の社日)、仲秋大祭(放生会 9/12~9/18)、御胞衣祭(なまこ餅つき 12/31)
楼門
筥崎宮は醍醐天皇の延長岩塩(923年)に創建され、延喜式神名帳に八幡大菩薩筥崎宮一座名神大社とある。宇佐・石清水両宮と共に日本三大八幡として朝野の崇敬あつく、特に鎌倉時代以降は武神として武家の信仰をあつめた。なお、「敵国降伏」の宸翰を掲げる楼門は伏敵門として有名である。(現地案内板より)
敵國降伏のいわれ
筥崎宮楼門に掲げられる敵國降伏とは、鎌倉期に亀山上皇が納められた御宸筆(天皇の自筆)を模写拡大したものです。その意味は、武力で相手を降伏させる(覇道)ではなく、相手が自ずから靡き降伏するという王道である我が国のあり方を説いています。(現地案内板より)
楼門
文禄3年(1594年)筑前領主小早川隆景が建立
建坪12坪、三間一戸入母屋造、檜皮葺
三手先組といわれる枡組によって支えられた、83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝えられています。
楼門の扉
扉の太閤桐の紋様彫刻は江戸時代の名匠左甚五郎の作と伝えられています。
楼門横から
本殿・拝殿
醍醐天皇の延喜21年(921年)、大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995年)、大宰大弐藤原有国が回廊を造営したと伝えられています。しかしその後、元寇の戦火、兵乱などにより幾度かの興廃がありました。現存する本殿、拝殿は天文15年(1546)大宰大弐大内義隆が建立したものです。
本殿は総建坪46坪に及ぶ優秀な建物で、九間社流造、漆塗、屋根は檜皮葺、左右には車寄せがあります。拝殿は切妻造、檜皮葺で、梁組が2重になっている素木のままの端正な建物です。
拝殿
延喜21年(921年)、大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営。長徳元年(995年)大宰大弐藤原有国が回廊を造営。現存する本殿、拝殿は天文15年(1546年)大内義隆が建立したもの。
拝殿
拝殿
本殿
本殿は総建坪46坪の優秀な建物。九間社流造、漆塗、屋根は檜皮葺で、梁組が二重になっている素木のままの端正な建物です。