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参道と鳥居

筥崎宮

所在地:福岡県福岡市東区箱崎1-22-1

延長元年(923年)創建で、祭神は、応神天皇、神功皇后(応神天皇の母)、玉依姫命。文永11年(1274年)の元寇の際に社殿を焼かれたほか、何度かの火災に見舞われましたが、天文15年(1546年)大内義隆により現在の本殿と拝殿が、文禄3年(1594年)には小早川隆景により楼門が再建され、いずれも国の重要文化財に指定されています。境内には、「蒙古碇石」などがあります。(現地案内板より)

筥崎宮32

筥崎宮一之鳥居

本宮の鳥居は、御本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれます。
この鳥居は一之鳥居です。

筥崎宮31

一之鳥居

一之鳥居は慶長14年(1609年)、藩主黒田長政が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木は1つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。国指定重要文化財です。(現地案内板より)

筥崎宮35

二之鳥居

筥崎宮1

三之鳥居

この三之鳥居は筥崎宮大鳥居とも呼ばれ、国道3号線に面して建っている鉄筋コンクリート造りで、高さ16mもある大きな鳥居です。昭和5年に一之鳥居を模して造られました。

筥崎宮2

一之鳥居と楼門

文禄3年(1594年)筑前領主小早川隆景が建立。三門一戸入母屋造、檜皮葺で83坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。

筥崎宮5

大社筥崎宮の石碑

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、大分・宇佐神宮、京都・石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。御祭神は筑紫国蚊田の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第15代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命をお祀りしています。近年、全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜として広く親しまれています。(現地案内板より)

筥崎宮4

筥崎宮高燈籠

高さ約6メートルの石造りの灯籠です。文化14年(1817年)に箱崎捕漁師が博多湾に出漁のため、帰船の目印として作ったもので、上部は木製で夜に火を入れるには漁師たちが当番制で当たったそうです。現在の灯籠は昭和43年に改築したものです。

筥崎宮6

博多魚市場奉納の石燈籠

筥崎宮36

千利休奉納の石燈籠

天正15年(1587年)太閤秀吉が九州平定後、本宮に滞陣して博多町割りなどを行いました。その時秀吉が催した箱崎茶会に随行した千利休による奉納と伝わります。 南北朝時代、観応元年(1350年)の銘があります。(現地案内板より)

筥崎宮39

石燈籠

筥崎宮14

石燈籠

筥崎宮16

石燈籠

筥崎宮7

石燈籠

筥崎宮9

大樟

本樹は樟の代表的な巨樹。樹齢は千年とも千五百年とも言われている。大正11年国の天然記念物に指定さる。
高さ39m・根廻り20m・目通12m
貴重なる樹木として保護を要す。(現地案内板より)

筥崎宮10

大楠

筥崎宮29

大楠

筥崎宮34

御神木 筥松

筥崎宮の御祭神、応神天皇が筑紫国宇美の里(粕屋郡宇美町)にてお生れになった時(西暦200年)その御胞衣を筥に納めて浪の音も静かな白砂青松の浄池に埋め標しの松を植えたと伝えられている。それがこのところであって、その後この地を箱崎と称え、この松を「標の松」又は「筥松」といい、御神木として尊んでいる。
千早振る 神代に植えし 箱崎の 松は久しき 標しなりけり 法印行清
(現地案内板より)

筥崎宮35

筥松

筥崎宮18

筥崎宮2

筥崎宮7

楼門から筥松

筥崎宮19

菊の紋の軒丸瓦

筥崎宮37

亀山上皇尊像

博多区の東公園内に建立されている亀山上皇の銅像の原型の木彫像です。この木彫り像を製作したのは、福岡県出身の彫刻家・山崎朝雲です。その大きさは約6メートルあります。
東公園内に建立されている亀山上皇の銅像は、鎌倉時代中期の元寇(蒙古襲来)に際し、「我が身を以て国難にかわらん」と敵国降伏の祈願をし、博多の街の安寧を祈願された亀山上皇を顕彰し、明治37年(1904年)完成しました。

筥崎宮12

歌碑

鯖雲や 大神風の こと語る

筥崎宮11

蒙古軍船碇石

文永11年(1274年)10月20日、蒙古軍三万は、九百隻の艦船に乗って博多に迫り、終日わが軍と激戦を交え、本宮も兵火によって、焼失したのであったが、翌21日朝には、意外にも湾内から姿を消してしまった。
 世上これは神風によるものだという。
古来博多附近には蒙古軍船の碇石と称するものが十数本あり、肥前から壱岐にかけても五本ほどあって、いずれも海中から引き揚げられたものであるが、場所がら歴史的記念物であるとして珍重されて来た。
 この碇石は博多湾中央波止場附近の海中から引き揚げられた六本中の一本であって、石質は赭色凝灰岩である。この種の石材は蒙古軍の造船地であった朝鮮全羅南道長興南方の天冠山に求めることができる。(現地案内板より)

筥崎宮13

元冠歌曲碑

筥崎宮8

唐船

謡曲「唐船」は、日本に捕らわれた唐人、祖慶官人が箱崎殿(筥崎宮大宮司)に仕え、日本人妻との間に二人の子をなして平和に暮らしていた。やがて唐土に残した子供二人が迎えに来たので箱崎殿はこれを憐み日本で生まれた子も連れて帰ることを許した。そこで親子共々喜んで帰ったが、夫婦、母子別れの悲劇もからまった物語である。迎えに来た子が、父がもし死んでいたら建てようと持ってきた供養塔がこの塔といわれている。
歌は聖福寺の画僧仙厓和尚の作で、「箱崎のいそべの千鳥親と子と、なきにしこえをのこす唐船」(現地案内板より)

筥崎宮26

夫婦石

また祖慶官人と妻とが別れる時に腰掛けて名残を惜しんだといわれる一対の石を「夫婦石」といっている。

筥崎宮15

さざれ石

この石は国歌・君が代に詠まれている「さざれ石」です。岐阜県と滋賀県の境の伊吹山の麓に産し、学名を石灰質礫岩と云い永年の間に石灰質が雨水で溶けて生じた粘着力の強い乳状液が小石を凝結して次第に巨岩となり苔むす。(碑文より)

筥崎宮38

苔むしたさざれ石

筥崎宮20

お潮井浜の真砂

博多では箱崎浜のお潮井(真砂)をてぼ(籠)に入れ、家の玄関に備え外出の時、身に振りかけて災厄からのがれることを祈ります。又、家屋の新築の際は敷地を祓い清め、農家では田畑に撒いて、虫よけ、豊作を祈ります。
この起源は非常に古く神代の時代に神様が行われた禊祓に基づくものです。当宮では春秋の二度、春分と秋分の日に一番近い「つちのえ」の日を社日祭と言い、お潮井取りの神事が賑やかに行われています。(現地案内板より)

筥崎宮22

湧出石

この石にふれると運が湧き出るといわれ、招福開運の信仰があります。また、国に一大事がある時、地上に姿をあらわすという古い言い伝えがある石です。(現地案内板より)

筥崎宮23

八幡様のパワースポット

この湧出石に触れられ、運気・霊力・波動を頂いてください。
筥崎宮縁起絵巻にも湧出石が描かれています。(現地案内板より)

筥崎宮24

湧出石

この石を撫でると「運が湧く」といわれています。

筥崎宮21

筆塚

筥崎宮28

筥崎宮25

筥崎宮30

石碑

筥崎宮17

神苑花庭園

神苑花庭園は天正15年(1587年)豊臣秀吉が箱崎大茶会を開いてより400年、地下鉄2号線「箱崎宮前駅」開通などを記念して昭和62年4月開園しました。園内は冬ぼたん、春ぼたん、ユリなど四季折々に咲く花々と、京都より取り寄せた松、苔、石を組み合わせた枯山水を楽しめる本格的な回遊式日本庭園です。
1月~2月下旬は冬牡丹が咲き、3月下旬~4月上旬はしだれ桜が咲き、4月上旬~5月中旬は牡丹と芍薬が咲き、5月下旬~6月下旬は百合が咲きます。秋には萩、桔梗、菊などの花が咲きます。11月には紅葉も楽しめます。

筥崎宮3

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