光雲神社
光雲神社(てるもじんじゃ)
所在地:福岡県福岡市中央区西公園13-1
筑前福岡藩祖・黒田孝高(龍光院殿、如水)と、その子で初代筑前福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀っています。社名は両神の法名から光と雲の一字ずつをとったものです。
光雲神社
御祭神:水鏡権現(黒田孝高・法名:龍光院殿)・武威円徳聖照権現(黒田長政・法名:興雲院殿)
この神社には、黒田如水公と黒田長政公の霊を祭ってある。如水、長政両公は、全国的に有名な民謡「黒田武士」の育ての親であり、また「福岡」の名付け親でもある。光雲神社という名前は、両公の法名からそれぞれ一字ずつをとってつけた。
この神社は如水、長政両公の子孫嗣髙公が藩主になられたとき福岡市舞鶴城内(元、平和台)本丸天守台の下に造られた「ところが」明治4年(1871年)廃藩置県のさい、黒田家が東京に移転されることに決まると歴代藩主の恩恵をしたうあまりに、旧藩民有志が当時11代藩主であった長薄公に懇願し、許可を得て、明治4年8月小烏吉祥院(現在の警固神社の近く)に神社を移した。
1.明治8年3月県社に昇格
2.明治40年4月西公園に社殿落成移転
3.昭和20年6月被戦災
4.昭和41年10月現在社殿に鎮座
例祭日:春の大祭4/20・秋の大祭10/4
摂社:堅盤神社(黒田重隆公・職隆公・忠之公・阿津姫)
末社:荒津神社(大己貴命、国常立尊、正哉吾勝尊、国狭槌尊伊弉冊尊、瓊瓊杵尊、惶根尊)
(現地案内板より)
光雲神社の大鳥居
社殿
初代藩主黒田長政、父孝高(如水)を祭る。社号は2人の法名から光と雲を取り合わせたもので、6代藩主継高のとき、城内に祭ったのが最初である。明治40年に、この地に移されたが、戦災で焼失、現在の社殿は昭和41年に再興したものである。境内の母里太兵衛像は等身大の銅像である。(現地案内板より)
拝殿
天井の謡い鶴
お賽銭をあげて参拝すると鶴の声が流れます。
拝殿のめでたい雌雄の丹頂鶴の画は舞鶴の地名に因んで描かれたものです。お賽銭をあげて参拝される時に鶴の声、その一声に託して幸運が開かれますように。
謹画:木原信 神紋謹刻:堀祐峰(現地案内板より)
狛犬阿形
狛犬吽形
水牛の兜像
水牛の兜像
母里太兵衛の銅像
母里但馬守太兵衛友信像
黒田25騎の一人で智勇兼備の武将で主君長政公の命を受けて、福島正則公に使いした時、禁酒の太兵衛がなみなみと注がれた大盃の酒を自若として飲み干し、太閤秀吉より拝領の福島家、家宝「名槍日本号」を持ち帰った話は有名であります。
母里家21代嘉道氏外有志が主君長政公の有名な水牛の兜と当神社の社頭を固める守護像として奉納されたものであります。
母里太兵衛居宅の門は福岡城跡内に復元され、また墓所は県下嘉穂町大隅の麟翁寺にあります。(現地案内板より)
筑前今様
のめのめ酒を のみとりて 我が日の本のこの槍を
取り越すほどにのむならば これぞ眞の黒田武士(母里家歌傳)